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コミュニケーションギャップ
昨日、ある外資系SPAのショップ内をふらふらしていると、ネックレスのガラス玉(プラスティック?アクリル樹脂?)が床にはじける音がして、私の足元にもいくつかその透明な玉が転がってきた。
目に付いたものだけでも、玉を拾って、その落とし主にわたすと、こういう答えが返ってきた。
「大丈夫。お店の人にもう言ってありますから」
「?」
そうじゃなくて。お客さんがガラス玉に足をとられて転んだりしたら危ないでしょ。
拾ってあげたことに恩を着せるつもりはないけれど、何かひと言足りないんじゃない?

こういうストレスフルなコミュニケーションギャップは日常茶飯事。
特に、ライター稼業をやっていると、広報の人たちの勘違いに腹立つことは少なくない(マスコミの「勘違い」も激しいが)。
最近は、とにかく「校正はいつあがりますか?」と、原稿(もちろん広告でなくて編集原稿)を事前にチェックすることが当たり前のような態度を見せる。
取材する側にとってこのセリフは、「あなたのことは信用していませんよ」と言われるのに等しい。
いつからこうなったのだろうか。90年代末から、特に外資系ブランド企業が元気になって、ブランド管理の名のもとにマスコミとの癒着が当たり前になってから、こういう慣習ができたように思う。
10歩ゆずって、企業広報の立場もあるから、そう言わざるを得ない状況も理解できる。大切なのは、その必要性を伝える言い方、コミュニケーションのとり方だ。

取材というものは、人間同士のコミュニケーションがベースになっていると思うが、聞き手である取材者の人間性を無視したような話し方が増えていることを、最近感じる。
取材アポの段階で、「その媒体に出すメリットがないから」という断られる方がまだ分かりやすくていい(かなり呆れるが)。
まあまあ、相手がまだ若いんだから、中年ライターとしては、その変は多めに見てもいいんじゃないというかもしれない。
いや、これは年齢の問題ではない。断じてゼネレーションギャップではない。コミュニケーションギャップと、私は言いたい。
つまり人と人とのコミュニケーションに興味のない人が増えているのだ。
 2008/07/28 23:20  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

スキャンダルの不思議
巷をにぎわせている、Y本Mの「不倫騒動」について、ひとこと言いたい。
私は芸能ネタに弱いので、こんなところでコメントするのもどうかと思うが、はっきり言って、どうして彼女が番組を降板しなきゃいけないのか、さっぱり分からない。
世の中の大半が彼女を非難する論調になっているが、それが私にはどうしても理解できない。

Y本Mといえば、頭は切れるし、きれいで魅力的。まさに天は二物を与えた、誰もがうらやむような存在。人柄はそんなに悪そうに思えないし、少なくとも、同じようなスキャンダルから見事に立ち直っているくらいだから、相当の根性の持ち主だと思う。
何がおこったのかよく分からないが、事実はどうであれ、その人がプライベートで何をしようと、仕事には関係ないじゃないの。
家族でもないのに、何で他人にその人の私生活を非難する権利があるのだろう。
しかも、どう考えても、相手の男性には甘く、女性側ばかりが非難されている。
まるで、中世の「魔女狩り」だ。

この手のスキャンダルで思い出すのは、かつてのフランス大統領ミッテランのこと(例えが違いすぎる?!)。
隠し子が発覚したことを詰め寄る記者の質問に、彼が毅然とこう答えたことは有名だ。
「Et alors? (それがどうした?)」
フランスという国を私が好きなのは、こういう大人の文化というか、個人の自由を尊重するところだ。
嘘をついて体裁を保とうとすることほど、みっともないことはない。

大体、日本という国は、男女に関することをとやかく言いすぎだ。江戸時代は非常におおらかなはずだったのに、明治以降の保守的で封建的な呪縛が続いている。
特に芸能人や有名人に対して、その人のプライベートを詮索しすぎる。マスコミのヒステリーが一般人を洗脳しているかのようだ。
特に今回は、裏側で妙な権力の力が働いているような気がしてならない。
たかがタレント一人、キャスター一人と言うなかれ。有能な一人の女性の仕事人生がこれで絶たれるかもしれないのだ。
世の中には、隠れて悪いことをしている人がたくさんいる。断罪すべき人々はもっと別のところにいるのではないか。
 2008/07/15 17:29  この記事のURL  /  コメント(1)  / トラックバック(0)

ブログ100回達成!
昨年の10月末にブログをスタートさせて、まる7ヶ月。おかげさまで、今日で100回目を迎えることができた。
他の方々とは比べものにならないと思うが、アクセス数も6月には累計10000回を超えた。感謝、感謝である。

熱心に誘ってくださった千金楽さんには、心からお礼を言いたい。
最初は、できれば本名を出して、顔写真も載せてと、何度も勧められたが、そのうちに諦めてくださったか、今では「・・さんは今のままでもいいよ」とおっしゃっていただけるようになった。
ここで白状する必要はとくにないが、実は「上野君子」という名はペンネーム。30年以上も前に亡くなった私の祖母の昔の名前である。
肩書きや名前が持つ固有のイメージに束縛されずに、自由に書きたいことを書くための手段として選んだのだが、個人的には、このブログは、私を今も守ってくれている祖母に捧げたいという思いもある。

ブログのネタを探しながら、日常の些細なことでも、いろいろなことを意識して考える習慣がついたことは本当に良かった。
そして、何よりブログのおかげと思うのは、友人たちとの絆が深まったこと。このブログを「お気に入り」に入れて、頻繁に読んでくれる友人(一度も会ったことがない人も含めて)がいる。遠く海外にいる友人とも、お互い身近に感じられるようになった。本当の自分を理解してくれるいい友人に恵まれて、私は本当に幸せだなあとつくづく思う。

その人から生み出されたものというのは、まるでリトマス試験紙。書いたものをどうとらえてくれるかによって、私自身にどれだけ興味や好意を抱いていてくれるかだけでなく、その人の本質や価値観が手に取るように分かる(えらそうで、すみません)。
服装やインテリアというのも、大切な表現の一つだから、それに近いものがある。
だから、「真面目」「語調がきつい」というような表面的な反応は、ちょっと寂しい。

ブログやSNSにありがちな、当たり障りのない口調、他人に媚びたような文体というのは、私には書けない。というより、私らしくない。私は私のスタイルで、続けよう。
直球すぎるところもあるが、これからもここでは自分の気持ちをストレートに表現していきたいと思っている。何事も絶対的自己肯定で行くのが、「ウェルエイジング」の秘訣だ。
皆さん、今後もよろしくお願いします。
 2008/06/01 14:07  この記事のURL  /  コメント(3)  / トラックバック(0)

家に他人を入れない日本人
今、話題のニュービジネス、「洗濯代行サービス」の取材で、なるほどと思うことがあった。
日本人特有のメンタリティとして、自分の家になるべく他人を入れたがらない(家の広さに関係なく)。ホームパーティをあまりやらないことを考えても明白だ。
寝室など、親しい人しか入れないパーソナルスペースがあるのではなく、日本人の場合は家全部がパーソナルスペース。これはどうやら農耕民族の特性らしい。
だから、家事のアウトソーシングの成功の秘訣は、家の中に入れることではなく、外に出すことだというのだ。

確かに、食事だって家に料理を作りに来てもらうのではなくて、食べ物のデリバリーだし、育児保育も家にベビーシッターさんに来てもらうのではなく、預けるための外の施設。ハウスクリーニングもベビーシッターも、家の鍵を預けて、自分たちは外出してしまうということをできる人はまだ少ないだろう。

欧米諸国では、これは移民救済の意味合いもあると思うが、あるレベル以上の家には、毎日ではなくても家の掃除、または料理をしてくれる人が通ってくるケースが多い。リーズナブルな価格でそういうことが可能な社会のシステムができている。
中国でも、事業家の家では使用人を置くことが普通だという。
考えてみると、余程の家でない限り、家に家族以外の人がいないのは日本だけではないだろうか。
(ちなみに戦前は違う。祖母は昔よく、田舎から出てきて住み込みで家の用事や子供の世話をして、家族のようにしていた「ねえや」の話を懐かしそうにしていた)

核家族で共稼ぎ家庭が多いのに、男性の家事・子育て参加が一般的にはまだ低いから、どうしても女性だけに負担がかかってしまう。
それでも他人に料理や家事をしてもらうことに、女性自身が罪悪感を持ってしまうのだ。男性の意識もそうだが、仕事も家も完璧にしようという女性の意識も変わらなくてはならない。日本の女性ほど家事が好きな人たちもいないだろう。知らないうちに伝統的な「良妻賢母」を植え付けられている。
ちなみに、私は妻でも母でもないが、家事は全般的に嫌いではない。

でも、これが老人介護によって徐々に変わっている。
以前は家族だけでどうにかするものであった介護だが、少しずつではあるが、コミュニティやプロの力を借りることが当たり前になってきた。そうではなくては家族がつぶれてしまう。
介護という切実なニーズによってだが、家に他人を入れるようになってきたことは、いい兆しだと思う。
 2008/05/25 21:30  この記事のURL  /  コメント(1)  / トラックバック(0)

「よりどころ」と客観性
映画『靖国』を観た。
いろいろ物議をかもしているだけに、ちょっと緊張もしたが、映画館も客席も実に静かな雰囲気だった。
映画割引の日だったこともあって、いつもより客数は多いだろうが、こぢんまりとした映画館はほぼ満席。男女の比率でいうと男性がやや多いが、男女とも年代がうまくばらけている感じで、男性は学生か50代以上(平日昼間だから中間が抜けているのは当たり前)、女性は各年代が平均的にいる。通常の映画のようなおばさまグループは見当たらず、ほとんどが一人で来ている。

さて、内容は…。ドキュメンタリー映画の王道を行っていると思った。
中国人の監督にとっては民族的に複雑な思いもあるだろうに、実に客観的に淡々と描いている。
それにしても、靖国神社を一つの基点にしながら、そこに登場する人々が多種多様であることに驚いた。イデオロギーもスタンスの置き方も実にさまざまだし、日本人だけの問題でもない。
首相や政治家が参拝することを反対とか賛成とかいう問題の奥には、実に複雑な問題がからみあっている。

はたからは奇妙で不気味に見える例も少なくないのだが、当人にとっては、それが生きていることの「よりどころ」であるのだ。それを失っては、それこそアイデンティティクライシスに陥るだろう。
戦争で親や親族を亡くしている人たちにとって、それは格別の思いであると思うし、それに対して他人が非難することはおろか、あれこれ言える筋合いのものではない。

生きるための「よりどころ」を持つことは、誰にも必要だ。
何かへの強い愛情とか信念を持つのはいいが、それがあまりに独りよがりで排他的になり、客観性を見失った時に、他者との軋轢、醜い争いを生む。
こういうことは私たちの身近にもたくさん転がっている。
 2008/05/22 10:39  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

トレンドだけがファッション?
ファッションは受難の時代を迎えている。
一昨日、デザイナーの友人たちと話していて、その切実さを痛感した。
元気なブランドはほんの一部。世の中のトレンドにうまく乗っているところだけ。
トレンドを意識しない、自分の好きな世界を追求しているブランドにとっては、まったく先が見えない。

もちろん、デザイナー自身のビジネス感覚や努力が必須であることはいうまでもない。
でも、それ以上に、トレンドでなくてもデザイナーの世界を大切にするようなニーズが、そもそも日本にはそれほどないのだと思う。
考えてみると、「ルームス」をはじめとする合同展の盛況にも見て取れるように、独立してブランドを始めるデザイナーは非常に増えている。
しかも、昔に比べると、平均レベルが非常に高い。
だが、実際のマーケット規模に対して、独立系デザイナーのブランドが多すぎて飽和状態。競争が激しくなっているのだ。

どこの商業施設を見ても、同じようなセレクトショップが並んでいる。売られているものも大した違いはない。最近はそういう店を見るのも嫌になった。
最近のバイヤーは商品を選ぶ目がなくなったという話は、方々から聞くが、売りやすさや条件面でセレクトしているのは見え見えだ。

トレンドだけがファッションなのか。
世の中のトレンドばかりを意識している人に、センスのいい人、美意識の高い人はあまりいないものだ。
それはメディアの世界でもまったく同じ。売れ筋ネタ、メジャーな情報だけを追いかけているような雑誌や新聞ばかりで、新しいものを発掘しようという気概のある編集者、本当に見る目のある記者はどこにいるのだろう。
私も長年ライター稼業をしているが、共感し合える編集者にそう出会えるものではない。特にファッションビジネスの世界では皆無といったらいい過ぎか。
だから、デザイナーたちの悶々とした気持ちは痛いほどよく分かる。

でも、そんなグチを言っていても始まらない。
新しい市場は自分で作っていくしかないのだから。
 2008/05/20 21:54  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

たらい回しにクタクタ
昨日からインターネットの調子が悪い。通常、光通信をワイヤレスで使っているのだが、つながったかと思うと、またつながらなくなる、を繰り返しているのだ。

今日は朝から、プロバイダーであるOCN、パソコンメーカー、NTT東日本と、順番に問い合わせを行い(最近は以前に比べると電話がつながりやすくなったが、それでも担当者につながるまでが大変)、指示されるままに確認して問題ないので、あとはルーターだけということになったのだが、なかなか解決法が得られず、結局、修理に来てもらうことになった。
このたらいまわし状態に、もうクタクタだ。
さっきの問い合わせ中は点灯していたルーターのPPPが、また消えている。

加えて、PCに別の問題がある。
私は2年近く前に、軽量で丈夫をうたい文句にした国産のノート型PCを買って、使っている。
「顧客満足度1位」と言われるように非常に優秀で使い勝手がいいのだが、軽量仕様のためか1年経った頃からキーボードが数箇所とれかかっていて、セロテープで止めている状態。加えて、USBの接続も悪い。
修理したいと思って問い合わせしたが、この種の修理には金額もかかる(購入時、販売店で3年保障をつけたが、全部の修理に使えるわけでないらしい。それを先に言え!)し、それ以上に時間も3週間は見てほしいということ。せめて3、4日ならどうにかなるが、そんなに長い間、手元にPCがなかったらどうすればいいのか。
その間用のPCとして、友人のいらなくなったデスクトップ型PCを譲り受け、今の中身と共有させ、修理からもどってきたら、家用、外用と使い分けようかと考えて、そのこともいろいろ当たってみたが、ものすごい手間がかかりそうで、断念。
結局、このPCを今まで通り、だましだまし使うしかないところに逆戻りした。
ああ、何をやっているんだ、私は…。

私のようにもともと機械音痴の人間は、IT用語をうまく使いこなせないから、PCやインターネットについて説明するのには一苦労。片や、問い合わせ先にいるこの世界の人たちは、素人の相手の身になって話すことがすごく下手(それでも最近は随分マシになったが)。両者の会話はなかなかかみ合わないのも、大きなストレスになる。
普段、何の問題もないとこれほど便利なものはないが、いったん問題がおきると、それを解決するのにものすごいエネルギーと時間がかかるのがPCだ。

 2008/04/23 13:31  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

なぜ子供が先に座るのか
ずっと気になっていたことがある。
今日もそうだったが、週末、電車に乗ると、親子連れ、場合によっては親子3代の家族連れに乗り合わせる。
いつも気になるのは、座席を子供たちが占領していること。すいていれば問題ないのだが、限られた席、あるいは途中で席が空いた場合、今の親たちは必ずと言っていいほど、子供を優先して座らせる。
時には、お祖母さんがせっかく席をゆずられても、その空いた席に孫を座らせて、自分は立っていたりする。
こんな時、私は思わずこう口に出そうになる。
「子供は立たせなさい!」

昔はこうだった…とはあまり言いたくないが、私の子供の頃は、子供は立っているのが当たり前だった。
電車の中で、母や祖母の膝の上にちょこんと乗っかって、お行儀よく前を向いていた記憶がある。うちの親たちは、そういうことはちゃんとしていたし、私も親が自慢するほど、言うことをきちんと聞くおとなしい子供だった(ほんの小さい時は)。
土足のままで座席に乗っかり、窓の外を眺めるようなことは決してしなかった。
考えてみると、最近は、傍若無人に窓の外を眺める子供の姿さえ、あまり見かけなくなったような気がする。
皆、疲れたように、だらしない格好で座席に座っている。

そんなふうに育った子供たちが、電車やバスの中で、お年寄りに席をゆずるわけがない。
少子化のせいか、確実に子供の躾が甘くなっている。
子供のいない私がいうのもなんだが(いや、子供がいないからこそ、言える)、子供のマナーや躾には日本の将来がかかっていることを、大人がもっと自覚をしないといけないと思う。
 2008/04/19 19:48  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

病院でのストレス
「アンチエイジング日記」改め「ウェルエイジング日記」として、せっかくブログを続けているので、普通はあまり人には言わない、生々しい話題もたまにはいいだろう。

先週、今週と続けて、家の近くの婦人科に行った。年に一度、健康診断に行っているM田レディスクリニック。50代半ば過ぎの女医さんがやっているところだ。
ここのところ肩から首筋の凝りがつらいので、友人から聞いていた「プラセンタ注射」を打ってもらいたいというのが当初の目的だった。
美容用として知られているプラセンタだが、最近は婦人科でも使われるようになり、更年期症状を緩和する目的なら、保険が利くようになっている。
私より5歳年下の友人は、やはり更年期症状の一環ともいえる同じ症状で苦しんでいたが、その注射をするようになってからだいぶ楽になったと聞いていて、そういう口コミをすぐ利用して体験してみる私のこと、早速行動に移したのだ。

ところが、同クリニックはその注射を導入していなかったらしい。
そう説明してくれれば良かったが、とにかく患者がそういう情報を仕入れて来院するというのは医者にとっておもしろくないらしく、「お友達に効いたからといって、あなたに効くとは限らない」と、不機嫌そうな態度を見せた。
とりあえず1回目はホルモン量の計測をし(ついでにホルモン注射を打たれ)、1週間後の今日、検査の結果を聞きに行ったというわけだ。
また不機嫌そうに、私の目を見ることなくぶつぶつ説明している姿を見ながら、ああ、もうここに来ることはないなと思った。

婦人科というのは、心身共にデリケートな時期の女性と向き合い、内科や心療内科ともオーバーラップするわけだから、もっとメンタル面での配慮が必要ではないか。
少なくとも、患者が何を求めているのか、冷静に受け止めてほしい(今回だって、手段はともあれ、肩こりを緩和したいというのが第一の目的なのだ)。
病院での医者とのコミュニケーションがいかに大変かを痛感した。
更年期症状はまだしも、生死を左右するような病気だったらどうだろう。
私も家族も大病をしていないので経験がない方だが、納得いかない医者の対応が後々まで後遺症として残っている人は少なくない。
年老いた両親も、これから何がおこるか分からない、やれやれ、である。
とにかく、患者が自分に合った病院を選ぶしかないのだろう。

あの女医さんも、強度な更年期障害なのかもしれないなと思いながら家路についた。
 2008/04/07 20:54  この記事のURL  /  コメント(1)  / トラックバック(0)

エイジング=熟成!
「アンチエイジング」はもう死語かと思ったら、そうでもないらしい。今朝の朝日新聞を見ていたら、土曜版「be」(ビジネス)で恒例のアンケートコーナーのテーマが「アンチエイジング」だった。
ついでに、「全身アンチエイジング宣言」をうたった日経ヘルス『プルミエ』の本日創刊!の折込広告まで入っている。消費をリードしたハナコ世代が更年期にさしかかるから、これは新しいビジネスチャンスというわけなのだろう。

「be」のアンケートによると、「あなたにとってアンチエイジングは必要ですか?」の問いに39%が「いずれやりたい」、33%が「すでにやっている」で、「いいえ」と答えた人は15%と少数派。否定的な答えの人は、「自然体」を支持する考え方がほとんどだ。
若さへの執着をあおる商業主義もどうかと思うが、自然の摂理に任せるべきといった「自然体」信仰にも、私はあまり賛成できない。
本当の美しい「自然」というものは、荒れ放題でほったらかしの自然でなく、適度に人の手が入ったものなのだ。美しさの裏には必ず努力があるもの。その作為を見せないのが美しいし、それが本当の「自然体」なのではないだろうか。

ところで同じ土曜版「be」(ビジネス)の第1面、「フロントランナー」は毎回興味深いビジネスマンが登場するのだが、今日は「ビンテージ・スピーカー修理の達人」とある。当然男性だろうと思ったら、これが私と同い年の50歳の女性。山形県鶴岡市のゴットハンドのもとには、全国からビンテージ・スピーカー修理の依頼が来るのだという。
この人のコメントに目をひく部分があった。
「音の7割がスピーカーで決まるといわれます。使い込めば使い込むほど音が良くなる。エイジング(熟成)ですね。手入れすれば半永久的に使えます」
人間もこうありたいものだと思う。
 2008/03/22 12:24  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

美容師さんとの会話
2ヶ月に1回、髪の毛を切りに行く。別に決めているわけではないけれど、のびてきたなと思うと、だいたい2ヶ月経っているのだ。
でも、今回は少し間が空いてしまった。ここ5年位同じ人のところに通っているのだが、そろそろマンネリになってきて、新しいところで気分を変えたかったのだ。
妹に紹介してもらったところは、予約の段階でムカッとすることがあって(予約の時の対応や言葉遣いなどで、その美容室の内情が見えてしまう)、結局希望の日時がとれず、ま、いいか、今回までは、同じところにしようと渋々、妥協したのであった。

そもそも、彼は技術もセンスも申し分ないのだが(商売人じゃないから接客マナーは今一つ)、ただ気になるのは、表参道という場所にあることもあって、業界話が多いのが憂鬱なのであった。
私がどういう仕事をしているか大体知っているから、会話は自然と、共通するファッション業界の話題になる。話は合わせられるが、私はこの手の話があまり好きではない。

今日もそんな話題から入ったが、途中からなぜか映画の話になった。
彼は、美容室が休みの火曜日には、大抵、映画を観にいくのだという。最近、話題の『ラスト、コーション』もかなり良いらしい。
私が先日、感動した『善き人のためのソナタ』の話をすると、彼にとって、『エディット・ピアフ 愛の賛歌』とともに(もう1本は忘れた)、昨年のベスト映画3本に入っているという。
そんな話をしているうちに、近年ではルワンダの惨劇を扱ったもの、ナチスやアウシュビッツにまつわる映画も、彼はほとんど見ているということが分かった。
国家にとって明らかになっては都合が悪い事件、歴史に封印されたような残酷な事件を、目の当たりにするのは、つらい。でも、世界で何がおきているか、過去何があったのかということを、日本の若者はあまりに知らなさ過ぎる……この点で、意気投合した。
過去の「負」の部分を隠そうとするのではなく、明らかにしてその「負」を次代にも受け継いでいいくことの大切さ。日本はそういう教育のシステムがないから、映画は貴重な情報源でもある。
いわゆる多民族国家と違って、人種差別の悲惨さが日常的に表面化しない分、違う差別が社会に多くはびこっている。
国家が推奨しそうな「母」ものや「家族」ものもいいけれど、それだけの日本映画はちょっと貧しくないか。

そんな話をしているうちに、最期の仕上げ(ドライヤー)も終了。また、2ヵ月後、ここに来ても悪くないなと思って、美容室を後にしたのであった。
 2008/02/18 21:33  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

あなたはどちらのタイプ?
目の前にいる人が誰だったか思い出せない時が時々ある。
この人知ってる、会ったことあるなと思うけれど、名前が出てこない――そんな時の反応は大きく2つに分かれるだろう。
どこの誰だったか忘れちゃったが、とにかく親しげに話しかけてみる。もう一方は、軽く挨拶をしてからしばし考え込むか、じろじろその人の様子を伺う。

私は典型的な後者だ。ジャーナリストとしては失格だろう。
ビジネスを考えると絶対に前者に軍配が上がるし、女としてみても前者の方が圧倒的に愛嬌がある。
そう頭では分かっていても、これは子供の時からの性格、つまり極端な人見知りから来るものだから、仕方ないのだ。
というわけで、私の一般的印象はかなり悪いらしい。

目の前にいる人が誰か思い出せなくても、話のできる人はうらやましい。すごいなと思う。
でも、そういう人はちょっと痛々しい。どこかで、この人、信用できないなと思っている自分がいることも否定できない。
 2008/02/05 00:28  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

通りすがりの人にも
JR駅構内で、若いお母さんが階段のところでバギーを下ろすのを、駅員さんが手伝っていた。
無事下ろし終わってホッとうれしそうなお母さん。駅員さんに盛んにお礼を言っていた。
これはこれでいい光景なのだが、ちょっとすっきりしない。
今日はたまたま駅員さんがそこにいたから声をかけたのだと思うけど、もしいなかったらどうするんだろう。

いつも思うのだが、日本では見知らぬ人に冷たい。
電車のシルバーシートだって本当はなくたって、皆が気づいたときにゆずればいいのに。
もちろん、物騒な世の中になったこともあるが、見知らぬ人には極力かかわりたくないというふうになっている。
私の子供の頃、通りで雨に濡れて歩いている人がいたりすると、祖母は「途中まで一緒にどうぞ」と傘を差し出していたりした。遠い思い出だ。

力のいることに関しては、やはり男性の出番。
たまに、通りがかりの人のバギーの上げ下ろしを手伝っていたりする男性を見ると、おお、育ちがいいな、親のしつけの賜物だろうなと思う。
ヨーロッパでは列車の中や地下鉄の階段で、重いスーツケースが持ち上がらなくておろおろしていると、かつては誰か(男性)が必ず手伝ってくれたものだが、そういうふうに自然にしてくれる人がだんだん減ってきた。世界的な傾向なのかもしれない。
待っていても始まらないから、本当に困ったときは、周りの優しそうな人を見つけ、自分からお願いするようにしている。

どこにいても、レディファーストの習慣が身についている人、食事の席で女性にワインをつがせない人、つまり基本的なマナーがきちんとしている人は、見ていても気持ちがいい。
あ、話題がそれてきた。総すかんをくらいそうなので、この辺でやめにしとこう。
 2007/12/01 22:36  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

分かりやすい言葉で話す
今年も残すところ、あと1ヶ月となった。
考えてみるといろいろなことがあった。私にとっては確かに節目の年だったと思う。
忘れもしない、夏から秋にかけて、ある新規ビジネスのプロジェクトに参加し、さんざんな目に会ったことが痛い思い出として残っている。
何しろ、スポンサーは最終段階で逃げる、プロデューサーはプロジェクトを構成したという責任感がまったくない、ファッションビジネスというのはこういうレベルのオジサンたちが底辺にいるんだなあと、感心した(私はコンサルタントではないので、免疫がないのだ)。
いや、感心している場合でない。

そういう人たちの共通項としてあげられるのは、何だか妙に調子がいいのだが、はっきりいって何を言っているのか、何度聞いてもよく分からないということ。口先だけで適当にこなしているから、何も伝わってこないのだ。もともと伝えるべきビジョンがない。

切れる人の話というのは、実に明快かつ明確だ。わけの分からない横文字や専門用語は使わず、誰にでも分かりやすい言葉で話をなさる。
今週お会いしたN天堂のI社長が、まさにそういう方だった。

ファッション業界でも、たまにそういう方にお会いする。
昨日お会いしたS社のIさんもそう。これまでアパレルの体質改善に尽力されてきたことがよく分かった。
私も、シンプルな言葉を大切にしたい。
 2007/11/30 18:03  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

「ありがとう」のひと言
私事だが、昨日、妹にある仕事を頼まれた(もちろん無償で)。ちょっとしたハプニングも重なって、思いのほか時間も体力も消耗してしまった。
どうにか一件落着した後、妹が「ありがとう」もなく電話を切ったことに、私は深く落ち込んでしまった。
やると決めて引き受けたのは私だから、見返りを期待しちゃいけない、こんなことで怒っちゃいけないと、自分に言い聞かせた。
どうにか腹の虫も収まって家にもどると、メールで「ありがとう」のメッセージ。
あの時、口頭で言ってくれたらどんなにうれしかっただろう。

誰にでも日常茶飯事あるような、ほんのつまらないことかもしれないが、これはとても大切なことだと思う。
「愛してる」ほどではないが、日本人くらい「ありがとう」を口にしない民族もないのではないだろうか。
海外で英語やフランス語に接していると、いかに日本人は公共の場で「ありがとう」を言わないかが分かる。
利害関係のある仕事の場面では別だ。
むしろ他人には言いやすいが、一番身近な家族に対してこのひと言がなかなか出ない。家族に対しては、つい「当然」という甘えが出てしまうのだ。

人は「ありがとう」のひと言に救われる。
今日もテレビ番組で、夫の大島渚を介護している女優の小山明子が、介護何ケ条かの一つに、介護される側が「ありがとう」を言うことの大切さを語っていた。
私の両親は昨年、金婚式を迎えたが、母は「今が一番幸せ」とよく言う。その理由はどうも、父が肉体の衰えのせいか、母に対して「ありがとう」を言うようになったからのようなのだ。
人間というのは実にシンプルな生き物だ。

ただ、ひと言でいい。「ありがとう」と口に出すことによって、人の心も人間関係も大きく変わる。私もこれから努めて言うように心がけたい。

追記:今日、11月22日は「いい夫婦の日」でした。
 2007/11/22 14:51  この記事のURL  /  コメント(1)  / トラックバック(0)

今の体が一番好き
ずっと気になっていたことがある。
下着や化粧品など、女性の体に密着した分野のメーカーが、若い頃の体あるいは肌を理想として、それに近づけることを奨励するようなやり方だ。
人の体は年齢とともに変化する。これはどうしようもない事実だが、要はこの変化をどうとらえるか、ネガティブにとらえるのか、ポジティブにとらえるのかということだ。

某下着メーカー研究所の所長は、「加齢によって衰えた体を、若い時のきれいな体に近づけるのが良い下着」と、いつも力説しているが、私はいつも苦々しく聞いている。その講演を聴いている若い女性たちから「ひどい…」という声がもれているのを、私は聞き逃さない。

正直に言おう。私は更年期の真っ最中、50歳になるが、今の自分の体が一番好きだ。「体」というところは「自分自身」に置き換えられるかもしれない。30代や20代、過去の自分に戻りたいと思ったことなんて、一度もない。10歳若く見られるのはうれしいが、10歳前にもどるなんて願い下げだ。
コンプレックスの塊みたいな自分だから、もちろん気に入らないところはたくさんあるが、それでも自分の体は愛おしい。いや、常に自分の体を愛していられるように、努力している。現在の自分(体)が愛せなくては、生きていくことなんてできないんじゃないだろうか。

私が美しいと思うのは、心身ともに鍛えられた体だ。スポーツ選手の肉体は一方で病に近いところもあるが、美しいのは何もしない「ありのままの体」ではなくて、日頃から努力していながらそれを感じさせない体。作為を感じさせない作為に美を感じる。そういう意味から、このブログも「アンチエイジング日記」という題をつけた。

この高齢化社会の時代、幸せに生きるために、加齢に対する考え方を変えていく必要があるとつくづく思う。特に、日本の男性の皆様、女性の美に対するキャパシティがあまりに狭すぎませんか。

 2007/11/07 13:42  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

はじめまして
1週間後、11月3日で満「50歳」になる。自分にとってこの節目は、重い。
組織の中にいないこともあって、普段、自分の年齢をあえて語ることはほとんどない。いや、もう誰も聞いてくれなくなった。
別段隠しているわけではないが、自分の年齢を率先して明かすと、いかにも「若く見える」という反応を期待する下心見え見えで、そういう自分があさましい感じがして嫌だ。

それに、異常に年齢を気にする日本の社会の中で、年代の枠組みから解放された人間関係を築きたいという思いも強い。年上であっても年下であっても、どういうポジションの人であっても、態度を極端に変えることは私の主義ではない。

とにかく、年齢不詳というか、年齢のない女でいたい。
少なくとも、年齢を重ねていくことに肯定的でいたい。そのために、今まで敬遠していたブログという手段を通して、自分自身をもう一度見直してみたいと決心した。
題して、「アンチエイジング日記」――。
医療や美容に特化した内容ではない。個人的な生活を通して、感じるあれこれを伝えたいと思っている。

さらに、ファッションビジネスに携わる皆さんにとって、50女ライフスタイル市場の参考になればという思いもある。
80代の母が「女学生時代と気持ちは同じ」と言うように、人の本質はいくつになってもあまり変わらないものだと思うが、肉体は刻々と変化している。あまり言いたくないが、「老化と闘っている」のは実感で、確かに(広い意味での)ボディケアに費やす時間とお金が増えた。
「肉体の変化」といっても、世にいうような「体型の変化」というレベルではない。
40代、50代を対象にした商品開発は昔からあるが、正直言って、そういう中に欲しいものはほとんどなかった。今でも、作り手と実際のターゲット層の意識には、何か大きな隔たりがあるような気がしてしかたがないのだ。

このブログが、業界に対する一つの提言になれば、幸せです。どうぞ暖かく見守ってください。
よろしくお願いします。











 2007/10/27 12:07  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

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