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展示会のおみやげ
仕事柄、展示会やレセプションパーティに行くことが多いが、決まって、帰りにおみやげをいただく。
プレスやバイヤーなど、そのイベントに出席したゲストへのちょっとした心遣いだ。
この「アパログ」は、メーカーや小売業の方々がたくさん見ていらっしゃると思うので、ちょっと気が引けるのだが、タブーを覚悟であえて言おう。
あれは、もう少し考えた方がいいと思います。

その会社の方の思いを込めているのは分かるが、ブランドのロゴの入ったプレミアムというのが、一番始末が悪い。
そのブランドが余程好きな人ならいいが、ブランドロゴの入ったガラクタ(失礼!)というのはたいていゴミにしかならない。いただいていきなり捨てるのは申し訳ないから、部屋の隅に置いた専用袋にどんどん入れていくようにしているが、すぐたまる。
誰かに差し上げられるようなものならいいが、誰にもあげられないようなものも少なくない。
商品在庫ならまだいいが、わざわざ作るというのは、本当に無駄だと思う。だいたい、エコにも反する。仰々しいパッケージや紙袋に入っていただく場合が多いから、ゴミの量もものすごい。
ただ、日本は細かいものを器用に作る会社が多いし(今やほとんどは中国製だが)、こういうガラクタ(失礼!)で生計を立てている卸業もあるわけだから、その方々の身になって考えればあまり強いことは言えないが、でも、捨てられるものを作る方がもっと虚しいのではないか。

では、何がうれしいかというと…。
おいしいお菓子とか、食べられるもの。つまり、無くなるもの。
デザインの好き嫌いに関係ない消耗品とか。そして、軽く小さなもの(会社のロゴ入りの紙袋をぶらぶら提げて、他を回らなきゃいけないのは結構つらい)。
コンビニやドラッグストアで使えるクオカードみたいなものもいい(厚かましくてすみません)。
以前、ルームスでいただいた「ハバイアナス」のビーサンもうれしかった(自分のサイズ、しかも好みの配色で作ってくれた、待ち時間が長くてその分、会場を見る時間が減ったが)。
最近、エコバックというのが多いが、あれもたくさんたまってしまって、もういいかな(そんなにたくさんあっても仕方がない)。

誰もあまり口にはしないけれど、同じ意見の人は少なくないように思う。

 2008/11/29 22:01  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

美文字ブームに思う
世の中、何やら「美文字」ブームである。任天堂DSも盛んに宣伝している。
私もきれいな字が書きたい。でもあの文字矯正法はちょっとどうかなと思う。
少し前にブームになった「絵手紙」のヘタウマ文字も好きになれなかった。
「美文字」も「絵手紙」も、根の部分はとても似ている。
つまり、誰かのお手本があって、それを真似て書いているのだ。お勉強好きの日本人はこういうのが昔から大好きだ。

私は子供の頃は、几帳面と言われ、印刷文字のようなきっちりした文字を書いていたものだが、いつの間にか、ものすごい悪筆になってしまった。
職業柄、人の話を聞きながらものすごい速さでメモしなくてはならないということもあるが、いつの頃か、字はすべて走り書きになってしまって、きちんとした字が書けなくなってしまったのだ。
インタビューしながらの取材ノートなんて、自慢でないが、自分でも何て書いてあるか判明不能なことが少なくない。

きれいな字を書くといえば、編集者という職業の、特に女性には字のきれいな人が多い(今はどうか分からないが)。
しかも決して無個性でなく、その人の人柄や教養も伝わってくるようなきちんとした字。あんなきれいな字で原稿依頼状とか、お礼状とかいただいたら、私のようなへぼライターでもその気になってがんばってしまう。
皆、子供のころから優等生で、きれいな字を書くことが嗜みの一つとして教育されてきた人々なのだろう。
最近は編集者ともほとんどメールのやりとりになってしまったが、美しい字で手紙をいただくのは本当にうれしい。

それでも、お手本をなぞっただけの「美文字」には魅力がない。文章も絵も音楽もそうであるように、ただ上手いというだけでは、人を感動させることはできないのだ。
いくらテクニックはレベルが高くても、その人が伝えたい何か、つまり強烈な「個」のないものは空虚なだけ。
「美は乱調にあり」を信条とする(?)私としては、何事も下手は下手なりにがんばっていこう。
でも、悪筆はどうにかしたい。少なくとも、自分の字を後から見てつくづく嫌気がさすのは悲しい。
 2008/11/22 23:43  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

コミュニケーションギャップ
昨日、ある外資系SPAのショップ内をふらふらしていると、ネックレスのガラス玉(プラスティック?アクリル樹脂?)が床にはじける音がして、私の足元にもいくつかその透明な玉が転がってきた。
目に付いたものだけでも、玉を拾って、その落とし主にわたすと、こういう答えが返ってきた。
「大丈夫。お店の人にもう言ってありますから」
「?」
そうじゃなくて。お客さんがガラス玉に足をとられて転んだりしたら危ないでしょ。
拾ってあげたことに恩を着せるつもりはないけれど、何かひと言足りないんじゃない?

こういうストレスフルなコミュニケーションギャップは日常茶飯事。
特に、ライター稼業をやっていると、広報の人たちの勘違いに腹立つことは少なくない(マスコミの「勘違い」も激しいが)。
最近は、とにかく「校正はいつあがりますか?」と、原稿(もちろん広告でなくて編集原稿)を事前にチェックすることが当たり前のような態度を見せる。
取材する側にとってこのセリフは、「あなたのことは信用していませんよ」と言われるのに等しい。
いつからこうなったのだろうか。90年代末から、特に外資系ブランド企業が元気になって、ブランド管理の名のもとにマスコミとの癒着が当たり前になってから、こういう慣習ができたように思う。
10歩ゆずって、企業広報の立場もあるから、そう言わざるを得ない状況も理解できる。大切なのは、その必要性を伝える言い方、コミュニケーションのとり方だ。

取材というものは、人間同士のコミュニケーションがベースになっていると思うが、聞き手である取材者の人間性を無視したような話し方が増えていることを、最近感じる。
取材アポの段階で、「その媒体に出すメリットがないから」という断られる方がまだ分かりやすくていい(かなり呆れるが)。
まあまあ、相手がまだ若いんだから、中年ライターとしては、その変は多めに見てもいいんじゃないというかもしれない。
いや、これは年齢の問題ではない。断じてゼネレーションギャップではない。コミュニケーションギャップと、私は言いたい。
つまり人と人とのコミュニケーションに興味のない人が増えているのだ。
 2008/07/28 23:20  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

スキャンダルの不思議
巷をにぎわせている、Y本Mの「不倫騒動」について、ひとこと言いたい。
私は芸能ネタに弱いので、こんなところでコメントするのもどうかと思うが、はっきり言って、どうして彼女が番組を降板しなきゃいけないのか、さっぱり分からない。
世の中の大半が彼女を非難する論調になっているが、それが私にはどうしても理解できない。

Y本Mといえば、頭は切れるし、きれいで魅力的。まさに天は二物を与えた、誰もがうらやむような存在。人柄はそんなに悪そうに思えないし、少なくとも、同じようなスキャンダルから見事に立ち直っているくらいだから、相当の根性の持ち主だと思う。
何がおこったのかよく分からないが、事実はどうであれ、その人がプライベートで何をしようと、仕事には関係ないじゃないの。
家族でもないのに、何で他人にその人の私生活を非難する権利があるのだろう。
しかも、どう考えても、相手の男性には甘く、女性側ばかりが非難されている。
まるで、中世の「魔女狩り」だ。

この手のスキャンダルで思い出すのは、かつてのフランス大統領ミッテランのこと(例えが違いすぎる?!)。
隠し子が発覚したことを詰め寄る記者の質問に、彼が毅然とこう答えたことは有名だ。
「Et alors? (それがどうした?)」
フランスという国を私が好きなのは、こういう大人の文化というか、個人の自由を尊重するところだ。
嘘をついて体裁を保とうとすることほど、みっともないことはない。

大体、日本という国は、男女に関することをとやかく言いすぎだ。江戸時代は非常におおらかなはずだったのに、明治以降の保守的で封建的な呪縛が続いている。
特に芸能人や有名人に対して、その人のプライベートを詮索しすぎる。マスコミのヒステリーが一般人を洗脳しているかのようだ。
特に今回は、裏側で妙な権力の力が働いているような気がしてならない。
たかがタレント一人、キャスター一人と言うなかれ。有能な一人の女性の仕事人生がこれで絶たれるかもしれないのだ。
世の中には、隠れて悪いことをしている人がたくさんいる。断罪すべき人々はもっと別のところにいるのではないか。
 2008/07/15 17:29  この記事のURL  /  コメント(1)  / トラックバック(0)

ブログ100回達成!
昨年の10月末にブログをスタートさせて、まる7ヶ月。おかげさまで、今日で100回目を迎えることができた。
他の方々とは比べものにならないと思うが、アクセス数も6月には累計10000回を超えた。感謝、感謝である。

熱心に誘ってくださった千金楽さんには、心からお礼を言いたい。
最初は、できれば本名を出して、顔写真も載せてと、何度も勧められたが、そのうちに諦めてくださったか、今では「・・さんは今のままでもいいよ」とおっしゃっていただけるようになった。
ここで白状する必要はとくにないが、実は「上野君子」という名はペンネーム。30年以上も前に亡くなった私の祖母の昔の名前である。
肩書きや名前が持つ固有のイメージに束縛されずに、自由に書きたいことを書くための手段として選んだのだが、個人的には、このブログは、私を今も守ってくれている祖母に捧げたいという思いもある。

ブログのネタを探しながら、日常の些細なことでも、いろいろなことを意識して考える習慣がついたことは本当に良かった。
そして、何よりブログのおかげと思うのは、友人たちとの絆が深まったこと。このブログを「お気に入り」に入れて、頻繁に読んでくれる友人(一度も会ったことがない人も含めて)がいる。遠く海外にいる友人とも、お互い身近に感じられるようになった。本当の自分を理解してくれるいい友人に恵まれて、私は本当に幸せだなあとつくづく思う。

その人から生み出されたものというのは、まるでリトマス試験紙。書いたものをどうとらえてくれるかによって、私自身にどれだけ興味や好意を抱いていてくれるかだけでなく、その人の本質や価値観が手に取るように分かる(えらそうで、すみません)。
服装やインテリアというのも、大切な表現の一つだから、それに近いものがある。
だから、「真面目」「語調がきつい」というような表面的な反応は、ちょっと寂しい。

ブログやSNSにありがちな、当たり障りのない口調、他人に媚びたような文体というのは、私には書けない。というより、私らしくない。私は私のスタイルで、続けよう。
直球すぎるところもあるが、これからもここでは自分の気持ちをストレートに表現していきたいと思っている。何事も絶対的自己肯定で行くのが、「ウェルエイジング」の秘訣だ。
皆さん、今後もよろしくお願いします。
 2008/06/01 14:07  この記事のURL  /  コメント(3)  / トラックバック(0)

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