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今年もたくさんの方からお年賀状をいただいた。 普段は会わない人でも、年に一度、年賀状のやりとりで、「ああ、元気なんだな」と思える機会があるのはいい。 年賀状と聞いて思い出すのは祖母のこと。12月29日に亡くなった(もう30年以上前)のだが、年賀状をすべて出し終わった直後であった。つまり、自分はあの世に行ってしまったのに、年賀状だけは皆のところに届いたというわけ。 母も、こういうことはまめな方だ。 その血筋を受け継いだのか、私も毎年なんやかんや言いながら、結局、年賀状を200枚出す。文面も宛名も自家印刷で失礼してしまうが、必ず一言は手書きの言葉を添えるようにしている。 自分への言葉が添えられているのは、やはりうれしいもの。 今年は、「○○さん(私のこと)の時代が来ましたね」なんて書き添えてくれる人もあって、「そう、そう」と一人うなずくのであった。 独身50女の一人暮らしで、フリーランス。何の後ろ盾も、権威もお金も才能もないこの私が、我ながらよく食いつないでいると感心する。いや、たぶん奇跡である。 確実なものは何もなくなってしまった世の中だからこそ、最初から何も持っていない存在は強い、のであればいいが、今年はいつどうなるか本当に分からなくなってきたぞ。 いただいた年賀状の中でもユニークなのは、20代の友人、M子さんからのもの。 北陸にある彼女の実家でついたというお餅と干柿が、彼女らしい手紙に包まれて入っていた。 この人は何ていうか、「吟遊詩人」みたいな人で、いつも不思議なタイミングで、思いつくままにつづった手紙をくれる。便箋も封筒もいつも手作り。 「今年はどんな風が吹くのか、いろいろと行ってみたいところがあるので、ひとつひとつたのしみを味わってみようかな」 これまでも、ブラジルやらインドやら、いろいろなところに行っている彼女のこと、最近は何処へと思っていたら、「12月4日に、ずっと行ってみたかった伊勢神宮へお参りしてきました!」とある。 「伊勢を護る森の樹木がどんとかまえているので、私はただいま!という気持ちでいっぱいでした」 私も伊勢に行きたいと、2、3日前のブログで書いたばかり。 いつもながら、彼女の持っている天衣無縫の才能をそのまま伸ばしてほしい、そういう世の中であってほしいと思いながら、手紙を読み終えるのであった。 |




