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インタビューの難しさ
北京オリンピックも終盤。
それにしても、種目の多さはものすごい。テレビ放映も、人気の競技を追うばかりで、中国の今や人々の様子を紹介するような余裕は微塵もなさそう。

テレビ放映を見ていて感じるのは、インタビューの難しさ。
メダルをとった選手にも、メダルを逃がしてしまった選手にも、もう少し聞き方というものがあるんじゃないかと思う。
私がやれって言われても、きっとうまく出来ないのは分かっている。
時間をかけて気持ちが和んできたところでじっくりというわけにいかない。勝負の決まった直後に、選手の気持ちを瞬時に引きださねばならないから、本当に難しい。
元スポーツ選手だったキャスターが活躍している理由も、このへんにあるだろう。
種目が違っても、スポーツ選手の苦楽を理解できる人になら、ホンネを打ち明けられるという…。

「どうでしたか?」「どんな気持ちですか?」なんて、ありきたりの質問も間が抜けているが、疑問文ではなく、「・・・でした」と状況を伝えて、無理に感想を聞くのも何だか不自然な感じ。
マスコミ慣れした選手は、メディアを意識した言葉を考えたりもするだろう。
でも、そういうふうに用意した言葉でなく、言葉にならない言葉というものをいかに引き出すことができるか。これはインタビュアーのクオリティにかかっている。

そういえば、開会式のテレビ中継アナウンスも間が抜けていた。
外出先から遅く家にもどり、途中から各国選手の入場行進を見たのだが、まず何の順番で出てくるのかさっぱり分からなかったし、日本選手の入場が早い時間帯に終わっていたことはひと言も説明がなかったから、あの長たらしい行進を最後まで見るはめになってしまった。
あれだけ多くの国が一堂に会す機会はそうないのだから、もう少しそれぞれの国の紹介(選手だけでなく文化の背景など)というものがあってよかったのではないか。

各国首脳の席では、堂々とした貫禄ある体格で、いかにも人のよさそうな、モナコのアルベール2世(グレース王妃の息子)の姿を見逃さない私であった。蛇足ですが。

追記:自国の選手が行進している時に、起立して拍手しなかった首脳は、日本の福田首相だけだったそうだ。
 2008/08/19 16:00  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

時間は存在しない
ヘッセの『シッダールタ』(新潮文庫)を読み終わった。
ヘルマン・ヘッセを読むのは、中学生時代の『車輪の下』以来ではないだろうか。
インド思想をベースにした同書を、書店でふと手にとって購入したのは昨年。すぐ読み始めたが、いろいろなものを並行して読んでいるうちに中断してしまっていたのを、再び読み始めたのだ。特に後半が圧巻で、もう引き込まれるように読み終えた。
「シッダールタ」とは、釈尊の出家以前の名。この本は、シッダールタを主人公に、求道者が悟りに達するまでの体験の奥義を探ろうとした作品だ。
文庫でほんの8ミリほどの厚さだが、ここには実に深いものが詰まっている。

「あらゆる真理についてその反対も同様に真実だということだ(中略)世界そのものは、われわれの周囲と内部に存在するものは、決して一面的ではない。人間あるいは行為が、全面的に輪廻であるか、全面的に涅槃である、ということは決してない。人間は全面的に神聖であるか、全面的に罪にけがれている、ということは決してない。そう見えるのは、時間が実在するものだという迷いにとらわれているからだ。時間は存在しない。(中略)時間が存在でないとすれば、世界と永遠、悩みと幸福、罪と善の間に存するように見えるわずかな隔たりも一つの迷いにすぎないのだ」
「罪びとの中に、今、今日すでに未来の仏陀がいるのだ。(中略)世界は不完全ではない。完全さへゆるやかな道をたどっているのでもない。いや、世界は瞬間瞬間に完全なのだ。あらゆる罪はすでに慈悲をその中に持っている。あらゆる幼な子はすでに老人をみずからの中に持っている。(中略)抵抗を放棄することを学ぶためには、世界を愛することを学ぶためには、自分の希望し空想した何らかの世界や自分の考えだしたような性質の完全さと、この世界を比較することはもはややめ、世界をあるがままにまかせ、世界を愛し、喜んで世界に帰属するためには、自分は罪を大いに必要とし、歓楽を必要とし、財貨への努力や虚栄や、極度に恥ずかしい絶望を必要とすることを、自分の心身に体験した」

マーケティングやマスコミは、物事を分かりやすく伝えるために、言葉で人々を区別し、決め付けてしまうことが多々ある。それも時には必要ではあるが、そういう情報だけに惑わされないことが、今こそ求められている時はないのではないか。
「時間は実在しない」という輪廻の思想はますます興味深い。

この本を読み終えた時、今、世の中でおこっているあらゆること、自分自身におこっていること、そのすべてを受け入れよう思った。すべては川の大きな流れの中に組み込まれ、変化しているだけに過ぎないのだから。
 2008/07/05 12:01  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

シャネルモバイルアート
午前中、広告ディレクター兼グラフィックデザイナーのIさんから、電話があった。
国立代々木競技場・オリンピックプラザで開いている「シャネル・モバイルアート」のチケットが2枚あるから、今日の午後、一緒に行かない?と急にお誘いを受けたのだ。
行く! 急いで午後の予定を調整。
ザハ・ハティド設計のパビリオンが、香港を皮切りに東京、ニューヨークと世界を巡回することで話題の美術展。入場料無料だが予約のみの限定したかたちで開催していて、もう無理かなと諦めていたのだった。

パビリオン内部は、シャネルのシンボルであるキルティングバッグをテーマに、20人の国際的なアーティストの作品が展示されている。
パビリオンに到着して、分刻みの予約制にしている意味が分かった。
入場者一人ひとりが、入り口で耳に装着したMP3に導かれ、まるで映画を見るように館内を見て回るようになっている。

モダンアートだけに奇抜な作品も少なくなかったが、私が一番好きだったのは、アルゼンチンのLeandro Erichによる「歩道」という作品。
シャネル本店のあるパリ・カンボン通りの建物の連なりが、歩道の水溜りに反映されている逆さまの映像を描いたビデオアートで、時間とともに光と影が微妙に変化するのが美しかった。

パリではよく外から窓を眺めて、その中にどんな人が暮らしているのか想像するのが、私は好きだ。特に夜は美しい。趣味のよい照明や調度品が見えていたりすると、ますます想像力がかきたてられる。映画のワンシーンのように。
日本のようにカーテンやブラインドでしっかり目隠ししたりせずに、半ば見られることも計算に入れているようなところがある。そういうのがフランスらしいなと思う。

そんなこんなで45分位の間、いろいろな作品を楽しんだ。オノ・ヨーコの作品である願い事をかける木に、七夕のように札をひっかけて、会場を出ようとすると、そこに「ジャンヌ・モロー」のアーティスト名の表示がある。
え! どれだったんだろうと思って、会場の人に聞くと、MP3の日本語以外の言語(英語、フランス語)が彼女の声だったという。
それは最初に言ってほしかった。ジャンヌ・モローの声に導かれて、このアート展を楽しみたかったと、会場運営者をちょっと恨んだ。
 2008/06/24 21:05  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(3)

I‘M NOT THERE
昨日午後、渋谷で『アイム・ノット・ゼア』という映画を観た。
実在の歌手、ボブ・ディランをモデルにしたもので、ディラン自身が製作を許可した唯一の伝記映画らしいが、ただの伝記ものではない。
監督は、アメリカのインディペンデント系のトッド・ヘインズ。以前に、ジュリアン・ムーアの『エデンより彼方に』を観たはずだが、その内容はまったく覚えていない。一般には『ベルベット・ゴールドマイン』の方が知られているかも。

ボブ・ディランという人物に、特別な興味や思い出があったわけではない。
人間を描く、伝記の手法というものを知りたいというのが、私の下心。

136分もの長編で、その中には6人のディランが登場する。しかも全部違う名前。
「アルチュール・ランボー」と名乗る詩人、11歳の黒人少年、偽りの結婚生活を送る映画スター、60年代の華麗なるロックンロールスター、シンガーソングライターで教会の牧師、西部開拓時代のアウトロー。
それぞれ時代設定も違う物語が時々入り乱れ、最初は何のこっちゃという感じだが、観ているうちに、これは6人のバラバラな人の物語を通して、1人のボブ・ディランという人の実像に迫ろうとしていることが徐々にわかってくる。
そもそも人間というのは、いろいろな側面を持っているのだ。
人間の本質は、性別、人種、時代を超える。

お馴染みの俳優が何人も登場しているが、しかし、「華麗なるロックンロールスター」を演じたケイト・ブランシェットにはたまげた。
顔も体つきも、どうしてこう違う人になりきれるんだろう。
銀座アルマーニタワーのオープニングで微笑んでいた、あの女優とは全くの別人。
男装とか、ディランの物真似といった域をはるかに超え、見事に「カメレオン女優」のキャリア更新だ。
 2008/06/19 17:18  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

こんな仕事がしたい
私はHNK・ETV特集のファンだ。映像と文字の違いこそあれ、ドキュメンタリー番組はノンフィクション文学にも近いものがあって、その番組作りの裏側に思いをはせてしまう。昨夜放映された「アンジェイ・ワイダ 祖国ポーランドを取り続けた男」には、深く感銘を受けた。
番組の主人公にも、番組の制作者にも敬意を表したい。

最近、アカデミー外国映画賞をとった最新作『カティン』。アンジェイ・ワイダという監督の、その生い立ちから、この映画を生みだす経緯がたっぷりと描かれていた。
内容はもちろんのこと、この監督の人間としての魅力(容姿も含めて)にも引き込まれるものがあった。いい仕事をする人はかっこいい。

『灰とダイヤモンド』『地下水道』という題名とともに、アンジェイ・ワイダは何か気になる存在だったが、実は一度もその映画を観たことがない。
ポーランドと聞いて思い出すのは、かつて英語学校で一緒だった大学院生がポーランドを専門にしていて、何年か住んでいたという話を聞いたことぐらい。連帯のワレサ議長のことなど、何度もニュースなどで見聞きしていたはずだが、この国についての知識はほとんどなかった。

作品ごとの、政府の検閲との駆け引きは、まさにドラマのようだった。
アンジェイ・ワイダ監督は真っ向からぶつかったり、闘ったりするのではなく、好機を待つ。聴衆の良心を信じ、違う表現で、聴衆に訴える。「これで充分に理解してくれる」と。限られた条件内でいかに伝えるかを考え、しかも自分の信念は少しも変えないところがすごかった。
時間が経てば、状況は少しずつ変化するものだ。あせってはいけない。要はそのタイミングをいかにつかむか、そのためにはいつでも発表できるように準備しておかなければならない。
長年封印されていた事件も、いつかは明るみに出来るときが来る。
そうして、監督のライフワークの集大成のように、最後の作品として、自分の父親が虐殺された「カティン」事件を題材に、自分の母親を主人公にして映画を作ったのだった。

長い時間をかけて、自分の命をかけて、伝えていかなければならないものは、私にとって何だろう。
 2008/06/16 12:05  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

東大でバーチャル体験
昨日、「バーチャルリアリティ」「テレイグジスタンス」の研究で知られる東大のT教授のところへ、チームで取材に伺った。本郷にある東京大学の構内に入るのは、これで二度目。雨上がりのしっとりした空気の中で、美しいキャンパスが映える。
東大、しかも工学部とは、自分にとって一番遠い存在。こういう仕事がなければ、一生、縁がないところである。

実際に研究室でいくつかの装置を体験させていただいてからお話を伺ったので、まったく理系オンチの私も、実感としてすんなり入っていくことができた。
まず、「バーチャル」という言葉自体が、一般に日本で言われている「仮想」とは程遠く、「ほとんどリアル(実際とは違うが、本質的にはリアルに近い)」という意味。日本人がこの言葉を誤解しているように、ヨーロッパ人は「ロボット」に対する嫌悪感があるらしい。

こういう研究が現実社会の中でどういうふうに利用されていくのか。
よく言われるのは遠隔医療や介護の面だが、インターネットやテレビ電話の進化版にもなって、行きたいところ、会いたい人のところに飛んでいける。
ファッションビジネスと関連するところでは、カスタムメイドなど一人ひとりに合った対応が得意らしく、また自分がそこに行かなくても海外でショッピングすることもできる。
実際にそこにいるのとはやっぱり違うじゃないか、とは言うなかれ。そこにいたって、心そこにあらずということも多々ある。
また、この技術を使えば、無駄な資源やエネルギーをかけずに、効率よく、物を生産することも出来るのだという。

宇宙開発技術のおかげで、天気予報やカーナビといった便利な情報を享受しているように、バーチャルリアリティにまつわる各種の技術も、近い将来、いつの間にか私たちの生活になくてはならないものになっていくのだろう。
それにしても、実業の世界とはまったく別のところで、純粋に学問を行う人たちの姿に触れると、ある種の感動を覚える。

 2008/06/06 21:24  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

消費過剰な自分を反省
昨夜、東京12チャンネルでおもしろい番組をやっていた。
「久米宏経済スペシャル“新ニッポン人現る”」
久々に久米宏が登場するのに加え、テーマに引かれた。「消費をしなくなった若者(20代)」というのは、最近、取材先でも方々で話題になるからだ。
さすが、経済やマーケティングに強いテレビ局、切り口が違う。

まず、分かりやすい例としてあげられていたのが、今の20代は車に興味がないということ。
なあんだ、それなら私も同じ。車に魅力を感じたことがないし、運転免許さえ持ってない。
ここまでは良かったが、次々に出てくる事例に、世代の特徴が浮かび上がってきた。
お酒を飲まない。
海外旅行に行かない。
お金を使わない(例外として出ていたのが、「東京ガールズコレクション」に熱狂する女の子たち)。
ものすごい資産を持っている個人トレーダーが、東京が見渡せる4億円のマンション(殺風景なインテリア)に住みながら、食事は立ち食いうどんやカップ麺で済ませている姿は象徴的だった。
いったい何が楽しくて生きているの? 

しかし、今の若者は自己投資をしない、生活を楽しむということをしない、とは言い切れないことが、番組の最後で明らかにされてくる。
身の丈の生活の中でそれなりに楽しんでいるし、社会貢献の意識は強いのだという。
幼い時のバブル崩壊や就職氷河期の記憶から、とにかく不安感が強く、貯蓄に励んでいるというのだ。貯蓄の目的を聞かれて「老後のため」と応える20代の彼らに、老後間近でも貯蓄のない自分は、ただただ唖然。
「楽観的」というと聞こえはいいが、「自己投資」「お金は天下の回り物」という言い訳で、あまり先のことは考えずに、お金はあるだけ使ってきた。というより、無くても使っている。
そういう自分の生活を変えなければいけない時期に来ている(もう遅いか)ことを、まさに子供の世代から教えられた。そういう番組であった。
 2008/06/02 11:35  この記事のURL  /  コメント(2)  / トラックバック(0)

和洋融合の魅力
連休最終日、きれいに晴れ渡った。
ゆったりした時間の流れの中で、思い立って美術展や個展のはしご。
最後は、東京都庭園美術館でやっている「世界に誇る和製テーブルウエア・オールドノリタケと懐かしの洋食器」へ。

「オールドノリタケ」という呼び方をするようになったのは、90年代以降。バブル期のお宝ブームで、輸出用に作られていたノリタケの古い時代のものが注目され、コレクターが増えてからのことのようだ。
今回はノリタケ(日本陶器)だけではなく、香蘭社をはじめ、明治から昭和初期までの各地の主要な洋食器メーカーのものが一緒に出展されていた。
高級磁器として名高い大倉陶器のものも数点。白にエンジの縁取りを施したデザインは、色彩豊かなコレクションの中ではシンプルでありながら、その絶妙な配色やフォルムが美しく、印象に残った。

当初は、欧米の下請け的な役割を果たしていたのだろう。
だが、単に西洋の物まねでなく、日本古来の伝統や技術、感性もそこに盛り込みながら、後世に価値あるものとして受け継がれていく様子は、テキスタイルデザインにも共通するものがある。
特に大正時代から昭和初期にかけての、アール・デコ調のモダンな色柄などは、同時代の着物の柄とも酷似している。
昔から「和洋折衷」(和洋融合)というか、異文化がミックスしたものに惹かれる私は、国や時代をはるかに超えた品々を見ると、本当に豊かな気持ちになれる。
正統派の豪華な花柄や風景画よりも、幾何学柄や更紗模様、ちょっとアラブ風の金使いが、個人的には好み。

テーブルウエアもファッションも、その時代性やライフスタイルをあらわすという意味では、大きな違いはない。
ファッションビジネス関係者にもぜひお勧めです。6月15日まで。

 2008/05/06 20:40  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

『おひとりさまの老後』
基本的にベストセラー本は買わない主義だが、この本は切実感(?)があって、ついに買って読んだ。
上野千鶴子の『おひとりさまの老後』(法研)。
本の帯には、「結婚していようがいまいが、だれでも最後はひとり」とある。

日本におけるジェンダーのパイオニアとして知られる著者。近年は高齢者の介護問題にかかわっていたのだ。
実は、10年以上も前に取材させていただいた(多忙のため会うことはできず、電話取材に終わったが)こともあって、ちょっと気になっていたのだ。
ちなみに、この方と私は親戚ではない。

相変わらず、歯切れのよい上野千鶴子節。著者の見聞きした具体例がいろいろ盛り込まれていて、おもしろかった。少なくとも、読み終わった後に、暗い不安な気持ちにはならない。

一番心に残ったのは、「ひとは生きてきたように死ぬ」ということ。つまり、その人がどのように死ぬのかは、どのように生きたかということと同義語であるということだ。
「介護される側の心得10カ条」は、そのまま「生き方の知恵10カ条」に当てはまる。

ハナコ世代のマーケッターたちが名づけた「おひとりさま」という言い方は、どうも好きにはなれないが、ともかく、人は誰でも「ひとりが基本」という考え方には大賛成。
この間、沢木耕太郎も新聞で「ソロで生きる」というようなことを語っていた。
「おひとりさま」といっても、レストランや旅行に独りで行くことを指しているのではありませんよ、念のため。
本質的にインディペンデントでなくては、周りの人との良い人間関係、友人たちとのネットワークもつくることができない。


 2008/04/20 15:28  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

映画DVDの効用
映画を観るのは絶対に映画館派。
我が家にはビデオデッキはあるが、DVDを観るには、画面の小さなPCしかない。
それ以上に、映画は日常と切り離された空間、時間で観たいと思うからだ。
だが、DVDを借りてきて家で観るのも悪くないな、と思うことがなくもない。

その一つに、字幕が自由に選択できるというメリットがある。
外国の映画を観る時、少しでも言語が分かる国の作品の場合、日本語の字幕は何となく邪魔。吹き替えは、選びたくない。
かといって私の場合、まったく字幕がなかったら、何を言っているのかよく分からないことが少なくないし、内容がよくつかめない。それでもいい映画もあるが、話の細部を聞き逃したくないものもある。
DVDなら、吹き替えや字幕の言語が選べるし、字幕の有無も選べる。
飛行機の中などでよくやるのは、フランス映画に英語の字幕を選ぶといった具合だ。

この週末は、久しぶりに行った近くのTSUTAYAで、昨年見逃していた『不都合な真実』を見つけ、家でじっくり楽しんだ。
アル・ゴアの流暢な(当たり前だ)アメリカ英語は、本当に流れるようでなかなか聞き取れない。
しかも、地球環境問題のさまざまな専門用語も出てくる。
そこで、英語の字幕を付けてみた。もちろん分からない言葉はいくつもあるが、それは推測してとらえれば十分。
逆に日本語の字幕をつけるより、何倍も言いたいことが伝わってくる、と思う。

毎朝のBBCニュースも、英語だけの設定にしているが、意識して聞かないとなかなか聞き取れないもので、私にとってはすっかり朝食のBGMになってしまっている。
字幕なしでも、外国(少なくとも英語の)の映画やニュースがくっきりと把握できるようになりたい(死ぬまでには)――これが私の目標だ。

加えて、家でDVDを観る時のデメリットを。画面の操作を間違えて、話の途中でよく消してしまう。あれにはいらいらさせられる。
 2008/04/14 12:44  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

世代を意識する
3月末日。フリーランスの身にとっては関係ないのに、年度の最終日というのは、妙に厳粛な気分になる。

今月は「世代」に対して考えさせられる機会が多かった。
世代マーケティングに関する取材をしている中で、どうやらポスト団塊世代である50歳(かつては「シラケの世代」と言われたりしたが)辺りを境に、その前と後とでは随分いろいろなことが変化しているという話を何度か聞いた。

また、東京コレクションで台頭してきた新世代のデザイナーたち。それこそ、私たちの子供の世代なのだが、明らかにそれ以前の世代とは異なる視線でファッションを見ている。ある意味、正統派回帰。皆、さらりと世界に飛んで行きそうな、まさに「恐るべき子供たち」。

もともと私自身は、世代とかタイプとか、何かにひとくくりにされるのが嫌い。
「ハナコ世代」ならぬ、「JJ世代」(創刊当時の)らしいが、JJなんてかつて愛読した試しがない。というより、ああいうマニュアル的なメジャー志向が苦手といわんばかり態度を匂わせたら、トレンドリーダーの自信たっぷりの同世代男性に嫌われた。
屁理屈こねる女より、シンプルでミーハーな女の方がかわいいというのは分かる。
でも、どこか少数派を自認することによって、優越感を得るという、自分の嫌な性格は直らないのだ。
良くも悪くも、強烈な「個」の上に、自由に生きてきてしまった。
そんな私にも、世代というものの同時代的な傾向が、もちろんあることは否定できない。

とにかく、今年ももう4分の1経ってしまった。明日からはもう4月。フランスでは早くも夏時間らしい。私も春夏シーズンにスイッチしよう。
 2008/03/31 23:47  この記事のURL  /  コメント(1)  / トラックバック(0)

3時間の幸福感
昨日は映画『ラスト、コーション』(日比谷シャンテシネ)、今日はピナ・バウシュ ヴッパタール舞踏団の『パレルモ、パレルモ』(新百合ヶ丘・テアトロジーリオショウワ)を観に行った。
こう並べて書くのはヘンなことは分かっている。
ここのところ忙しくて、気持ちがザワザワ落ち着かなかった私の、現実逃避を求める心境は表れているかもしれない。が、特にこの2つに関連性はない。
後者は、ピナ・バウシュの舞台の常連であるNさんのお誘いで前々から決めていたが、前者は衝動的に観にいったのだった。

前者の放映時間は3時間、後者も休憩時間を入れて3時間だったが、とにかく『ラスト、コーション』には疲れた。
タイトルは「肉欲と訓戒」という意味(LUSTという言葉からは、7つの大罪を連想してしまう)で、中国語の原題は『色、戒』(この2文字が並ぶとコワイ)。
舞台は、日本軍占領下の上海。女主人公(スパイ)の行動は、抗日が原動力になっているのだが、その歴史的背景にはあまり深く触れていない。
過激なセックスシーン(あれもラブシーン?)が何かと話題だが、戦争というものが生む男女の関係は辛すぎる。女主人公の生き方には、ほとんど共感できるものがなかった私。例えば、自分がかつての全共闘世代なら、もう少し違う見方ができるのだろうか。
テーマが重いのはいいが、全編を流れる暴力性とあまりに救いのない最後に、残ったのは虚脱感だけ。

『パレルモ、パレルモ』の幕引きは、すがすがしいものであった。
いや、幕は一度も下りず、現実の営みはこれからも繰り返されるという余韻が続くのだが。
ピナ・バウシュの生の舞台は私にとっては初めて。舞踏や体の動きだけでなく、言葉もかなり入ってくるが、演劇とは違って抽象的。それでも観念的になりすぎずに、表現したいことが舞台全体からじかに伝わってくる。
少なくとも、観客にプレッシャーを感じさせない、観ていて気持ちの良いものだった。
最後に、ダンサーたちと一緒に並んで、舞台挨拶をするピナ・バウシュ。その慈悲深い表情と優しい物腰は、遠くからもしっかり感じることができた。
ちなみに客層は、知的でセンスのいいクリエイター系が多いのが特徴か。
 2008/03/20 21:48  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

中国の女性企業家
大阪で開かれている「日本インナー資材総合展」で、「中国インナー事情」という講演を聞いた。会場は、中国に興味津々の業界関係者で大賑わい。

講師は、大連を拠点に「サンフローラ」というインナーウエアブランドを展開している会社の女性社長、鄒(スゥ)さん。
もともと日本と歴史的に関係の深い大連で生まれた鄒さんは、大連外国語学院日本語学部を卒業後、同校の先生をしていたという経歴の持ち主。その後、企業家に転身し、わずか10年の間に、合計50億円規模の企業グループを作り上げた。
中国国内向けの自社ブランドが中心だが、OEMも手がけており、取引先の半分が日本と、日本との関係も深い。

少し前まで、一人っ子のお嬢さんが横浜のインターナショナルスクールに通っていた関係で(今はアメリカに留学)、日本にも度々来る機会があったが、今まで日本に住んだことはないという。
「言葉の壁は厚い」というが、なんの何の、1時間半の講演を立派に果たした。
というより、中国における繊維産業、インナーウエア産業の変遷と現状といった基本的なことがよく分かって、私としては勉強になった。

男女同権の中国では、夫婦共働きが当たり前。女性だけに家事や子育ての負担がかかるということはない。それに、都会に住む、鄒さんのような家庭には、毎日の料理や家事をこなしてくれる使用人がいるから、心置きなく、仕事にも没頭できる。
これからも、才能ある中国女性が、どんどん世界に進出してくることは間違いない。

ちなみに、日本で「下着」に当たる中国語は「内衣(ネイ)」。この方が「インナーウエア」に近いですね。

 2008/02/26 17:07  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

ものすごい映画を観た!の続き
寒い1日だった。
このブログのファン(?)でいてくれる美容家のTさんと一緒に、恵比寿にある美肌薬膳鍋の店で、体も心も温まった。
話題は、最近Tさんのはまっている50年前の日本映画へ。日活とか大映とか、懐かしい俳優や監督の名前が次々あがる。我ながらよく覚えているなあ。

さて再び、昨日観たドイツ映画『善き人のためのソナタ』の続きを。
パリ在住の音楽家の友人が早速メールをくれたのだが、この原題“DAS LEBEN DER ANDEREN”とは、「他の人の人生」という意味。言葉を知ると、作品の理解も深まる。

昨夜あれから映画のパンフなどをいろいろ見ていて、いくつか発見があった。
映画の主人公を演じたウルリッヒ・ミューエ(映画の前半と後半とでは表情が全然違う)は、実生活でも十数年にわたって妻に密告され続けていたのだという。
しかも彼は、昨年夏、胃がんのため54歳で亡くなっている。

そして、この映画が初監督(脚本も)作品になった、33歳のフロリアン・ヘルケル・フォン・ドナースマルク(写真を見るとやんちゃな青年って感じ)は、ケルン生まれで、オックスフォード大学など海外経験も豊か。子供時代の東ドイツの記憶がこの映画作りのベースになっているという。

未来に向けて、自分が残していかなければならないものは何だろう。


 2008/02/13 23:11  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

ものすごい映画を観た!
連休中もずっと仕事にかかりっきりだったので、今日は充電しよう!と、思い立って、近くにある「目黒シネマ」に行った。
目黒駅のそばにある、昔ながらの小さな映画館。
いい映画、しかも近作を2本立てでやっているのだが、15年以上前に初めて行った時の嫌な経験がトラウマになっていて(ちなみに痴漢被害ではありません)、今まで見たい映画はあっても素通りしていたのだった。
でも、今日はどうしてもここでやっている映画が観たかったのだ。

それは、昨年の日本映画で、話題になっていながら見逃していた、周防正行監督の『それでもボクはやってない』。それに、2006年ドイツ映画の『善き人のためのソナタ』が続いた。
前者も手に汗握る力作だったが、とくに後者はすごかった。近年、こんなに引き込まれた映画はない。
どちらも「国家権力」に翻弄される人々を描いたという意味では共通しているのだが、その極限状況の重さは比べものにならない。

2本続けて、約5時間。しばし現実に立ち返ることができなかった。
壁崩壊前の東ドイツを描いた『善き人のためのソナタ』の監督は、何と33歳、これが初監督なのだという。時代を若い世代が伝えていくということの尊さ。

ドイツ映画は日本ではあまり馴染みがないかもしれないが、皆さん、この映画は観てください!
 2008/02/12 21:06  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

繰り返しから生まれるもの
三が日は珍しくDVDで映画を何本か観ていたためもあって、テレビはあまり観なかったが、その中でもこれは観なきゃと思ったのが、2日夜NHKの『プロフェッショナル仕事の流儀・イチロースペシャル』。
とくにイチローファンというわけではないが(そもそも私は野球というものにまったく関心がない)、従来の野球選手にはいなかったタイプのイチローには、何か引かれるものがある。

番組では、イチローのシーズン中の重圧に向き合う姿が映し出された。
朝起きてから球場に向かい、そこでの練習の順番、階段の上り方にいたるまで、同じ事を繰り返しているというのが印象的だった。まるで神聖な儀式のようだ。
それは単にジンクスをかつぐというようなレベルではなく、まず肉体を同じように動かすことによって、プレッシャーに克つだけのパワーを得るというか。実際に、肉体の動きが脳に大きな作用を与えるらしい(脳科学者の茂木健一郎がインタビュアー)。
さらに朝昼兼用の食事に、7年間、妻手作りのカレーを毎日食べ続けているというのにはびっくり。

ちょうど昨年から読んでいる本、トワイラ・サーブというアメリカの振付家の書いた『クリエイティブな習慣』の中にも、「ルーティンと習慣が創造性をより豊かにする」と書かれていたことを思い出した。
そういえば、今、書店に行くと、「習慣」「整理」をキーワードにした本がたくさん並んでいる。

蛇足だが、イチロースペシャルの後に続いた番組、『英語でしゃべらナイト』(この番組は英語番組を大きく変えただけでなく、日本という国のありようをいつも違う角度から考えさせてくれるバラエティ番組だ)のスペシャル版、『爆笑問題が6人のガリレオ?と新年会』(『爆笑問題のニッポンの教養』に出演した教授らを招いた新年会)もおもしろかった。
自分がかつて何度か出演したから肩を持つわけではないけど、最近のNHKは努力していると思う。皆さん、ちゃんと受信料を払いましょう!? ただ、あの「紅白歌合戦」はどうにかならないものか。
 2008/01/03 21:14  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

「インディアン・ファンタジー」
海外からはクリスマスカード、国内からは早めの年末年始のご挨拶状を何通かいただき、いろいろなデザインを楽しんだ。
その締めを飾るように届いたのが、エルメス・齋藤社長からのカード。
毎年、翌年のエルメスのテーマをデザイン化した、素敵なカードをいただくが、今回はいつもと少し様子が違う。

封筒を開けると、スパイスパウダーで描かれた絵がプリントされた、屏風だたみの白いカードが出てきた。丁寧に封筒から出さないと、さらさらとパウダーがこぼれ落ちそうな感覚。封筒の内側に、パウダーがこぼれた跡が描かれているのがしゃれている。
それぞれに匂ってくるような、色とりどりのスパイスカラーだが、ウコン(ターメリック)の黄色が一番目立つ。
「FANTASIES INDIENNES(インディアン・ファンタジー)」――2008年のテーマが小さく記されている。

ああ、インド! 私が今、一番行きたい国。あらゆる宗教を受け入れる懐の深さを持つところ。
急速な経済発展の裏で、スピリチュアルの本場ならではの歴史と伝統が見直されているに違いない。
インドへの憧れを胸に、せめてジムでのヨガに来年も励もうと、意を決したのであった。

 2007/12/30 13:30  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

京都で今をときめく企業へ
京都出張。いつもはとんぼ返りが多いが、今回は久しぶりに1泊した。
ちょうど紅葉のピークもあって、駅周辺や繁華街はものすごい人。銀座に行く外国人観光客のかなり多くは、京都に来ているような気がする。
久々に目抜き通りを歩いてみると、街全体がぐんと洗練されたのに驚いた。
裏通りのあちらこちらで、古い建物を再生させた、雰囲気のいい料理屋や店に出くわす。かつてのバブルの時のような悪趣味でなく、最近の開発は随分趣味が良くなった。そして商業地がぐんと広がっているという印象を受けた。

さて、今回の出張の目的は、今をときめくN天堂社長の取材。
今や、世界中の多くの人がこの名を知っているという企業だ。
その本社が京都にあることも意外に知られていないが、もともとは日本伝統の花札から出発したことはもっと知られていないだろう。
京都はベンチャー企業を多く輩出していることでも知られ(今ではその多くは世界屈指の企業に)、ほとんどが駅の南側に社屋がある。

外部取引先からのヘッドハンティングとして話題になった同社長も、就任から5年。その業績は右肩上がりの躍進を続け、時価総額は何と日本全企業の3位にランクされている。
学生時代から天才プログラマーといわれていたという社長は、理工系出身らしく非常に謙虚な方。大きな声ではっきりインタビューに応える、いかにも実直そうな方だった。
近年の大躍進の背景にある戦略は、「ゲーム人口の拡大」。つまり、ゲームをしない人にいかにゲームをさせるかということに力を注いだという。
ゲームに無縁の私でも、ヨガができる今度の新製品はちょっと気になっている。

それにしても、飽きがくるのが早いのも娯楽。常に、人々に新鮮な感動を与える商品の開発をし続けることが欠かせないのは、ファッション産業も同じだ。
 2007/11/28 18:24  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

白洲次郎・正子の暮らした家
小田急線鶴川駅から徒歩15分、町田市能ケ谷にある「武相荘(ぶあいそう)」に行ってきた。
近年、その生き方のかっこ良さで注目を集めている白洲次郎・白洲正子夫妻が、戦時中から住んでいた家を、白洲正子の没後、一般公開しているもの。白洲正子は1998年に亡くなるまで暮らしていたという。
一度行きたいと思っていたところだけに、友人たちからの誘いにすぐ乗った私。
紅葉にはまだ早かったが、雨上がりのしっとりした空気の中で、落ち着いたたたずまいを堪能し、ゆっくり昼食(オリジナルフレンチ弁当)も楽しんできた。

誰よりも早く外車に乗り、ジーンズをはき、「葬式無用、戒名不要」という遺言で知られるダンディな次郎。
日本の古典や能に造詣が深く、素養と見識眼にあふれた正子。
「野人」と「韋駄天」と呼ばれる世紀のカップルが暮らした家には、隅々まで、人々のあこがれる趣味の良さが貫かれていた。
近年の古民家、古民具人気も、ここにもとがあったかと思わせるものがあった。
日本人の誇りを大切にした2人の存在は、未来にも語り継がれるだろう。

見事な茅葺屋根の家。出来た当時は、ごく普通の農家の家だったという。
http://www.buaiso.com/

 2007/11/11 21:13  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

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