ベランダでワイン
フランスのライフスタイルに洗脳されているせいか、戸外でゆっくり食事をすることが好き。緑豊かな庭で朝食、あるいはワインとパンとチーズを持ってどこかにピクニック、といった生活にあこがれる。
そういう場面に欠かせないのは、心おきなく何でも話ができる友人の存在だ。

いよいよ本格的な夏がやってきたことだし、南仏みたいに外でごはんをしたい気分と思っていたら、久しぶりに友人のHさんからお誘い。我が家から歩いて5分強なのに、普段はそんな頻繁に会うわけではない。
バケットやチーズ、果物、いただき物の北海道の野わさびとそれに合うローストビーフなど、こまごまバスケットに詰めて、Hさんの家に夕方到着すると、ベランダにテーブルセットして待っていてくれた。
Hさんお手製のラタトゥユは、いろいろな夏野菜に豆類も入っていて絶品。おいしいワインが一段と進む。

大通りに面したマンションの5階だけあって、緑の風とはいかないが、だんだんに暮れなずんでいく都会の景色の中で、あれこれおしゃべりがつきない。
途中でろうそくを灯す。周りがすっかり暗くなったと思ったら、あっという間に5時間が過ぎていた。

私たち両方を知るセラピストのMさんに、この2人が知り合うなんて不思議と言われた位、Hさんと私はまったく正反対のタイプだ。
Mさん曰く、典型的な「右脳」人間(というより、単なる感覚派なのだが)である私に対して、Hさんは「左脳」人間。
大学はドイツ語専攻で留学もした才媛で、ずっとIT業界で仕事を続け、今は外資系IT企業の管理職をしている。私を引き合わせてくれたのは、彼女のドイツ留学時代からの友人である音楽家のKさんだった。
普段は夜12時まで会社にいることもザラという程、忙しい生活だからこそ、時にはこういう時間が必要なんだという。
企業で長年働いている女性たちを、私は心から尊敬する。

 2008/07/06 12:29  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


時間は存在しない
ヘッセの『シッダールタ』(新潮文庫)を読み終わった。
ヘルマン・ヘッセを読むのは、中学生時代の『車輪の下』以来ではないだろうか。
インド思想をベースにした同書を、書店でふと手にとって購入したのは昨年。すぐ読み始めたが、いろいろなものを並行して読んでいるうちに中断してしまっていたのを、再び読み始めたのだ。特に後半が圧巻で、もう引き込まれるように読み終えた。
「シッダールタ」とは、釈尊の出家以前の名。この本は、シッダールタを主人公に、求道者が悟りに達するまでの体験の奥義を探ろうとした作品だ。
文庫でほんの8ミリほどの厚さだが、ここには実に深いものが詰まっている。

「あらゆる真理についてその反対も同様に真実だということだ(中略)世界そのものは、われわれの周囲と内部に存在するものは、決して一面的ではない。人間あるいは行為が、全面的に輪廻であるか、全面的に涅槃である、ということは決してない。人間は全面的に神聖であるか、全面的に罪にけがれている、ということは決してない。そう見えるのは、時間が実在するものだという迷いにとらわれているからだ。時間は存在しない。(中略)時間が存在でないとすれば、世界と永遠、悩みと幸福、罪と善の間に存するように見えるわずかな隔たりも一つの迷いにすぎないのだ」
「罪びとの中に、今、今日すでに未来の仏陀がいるのだ。(中略)世界は不完全ではない。完全さへゆるやかな道をたどっているのでもない。いや、世界は瞬間瞬間に完全なのだ。あらゆる罪はすでに慈悲をその中に持っている。あらゆる幼な子はすでに老人をみずからの中に持っている。(中略)抵抗を放棄することを学ぶためには、世界を愛することを学ぶためには、自分の希望し空想した何らかの世界や自分の考えだしたような性質の完全さと、この世界を比較することはもはややめ、世界をあるがままにまかせ、世界を愛し、喜んで世界に帰属するためには、自分は罪を大いに必要とし、歓楽を必要とし、財貨への努力や虚栄や、極度に恥ずかしい絶望を必要とすることを、自分の心身に体験した」

マーケティングやマスコミは、物事を分かりやすく伝えるために、言葉で人々を区別し、決め付けてしまうことが多々ある。それも時には必要ではあるが、そういう情報だけに惑わされないことが、今こそ求められている時はないのではないか。
「時間は実在しない」という輪廻の思想はますます興味深い。

この本を読み終えた時、今、世の中でおこっているあらゆること、自分自身におこっていること、そのすべてを受け入れよう思った。すべては川の大きな流れの中に組み込まれ、変化しているだけに過ぎないのだから。
 2008/07/05 12:01  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


昔ながらのフルーツパーラー
ファッション業界も大変だが、飲食業界も大変だ。
昨今の原油・原料高がもろに響いているとはいえ、価格設定をそんなに高くするわけにもいかない。
しかも、こと食に関しては、安心・安全の提供が大切になっているし、消費者の舌が肥えているから、サービスも含めて質を落とすわけにはいかない。商売として成り立たせるのは相当の努力が要るだろう。
総合力とシステムを強みにしたチェーン展開か、家族経営の個店か、どちらかしかないのかも。

アトレ目黒の中に、「果実園」という昔ながらのフルーツパーラーがある。
2階のCDショップの奥にあるので、目立たない存在だが、ここはいつもお客さんでいっぱい。とくにランチの穴場だ。
パスタ、カレー、オムライス、サンドイッチなど、選べるメインディッシュに、フルーツ3品、サラダ、コーヒーや紅茶などの飲み物がついて、どれも1000円未満。800円台が中心だ。量もそこそこあって、しっかり腹ごしらえできる。
中高年の女性が多いが、男性客もちらほら。
今日、むしょうに果物が食べたくなった私は、フルーツサラダを注文した。果物8種のボリュームたっぷりの盛り合わせで、何と890円。1週間分のビタミンCを補給した気分になった。
季節の果物をふんだんに使ったおいしい手作りケーキも、飲み物とのセットで800円台。夜も確か、1500円前後でワイン付のディナーセットがいただける。

千B屋で気取ってフルーツパフェをいただくのもたまにはいいが、実を取るなら断然、「果実園」だ。
果物を食べたくなったら「果実園」へ。各種、濃厚な生ジュースだって、600円台でいただける。こんな店、今時、東京にそうない。
店中央のテーブルには、アボガド100円、さくらんぼ400円など、物販用の果物もいろいろ乗っている。
地域住民に愛されるのは、こういう日常的な店なのだろう。
 2008/07/04 20:53  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


ささやかな結婚祝い
昨夜、六本木のおしゃれな中華レストランharunoで、Tさんと一緒に、最近結婚したOさんのお祝いをした。
ファッション企画会社でマーケティング調査の仕事をしているOさん。真面目にこつこつ仕事をやってきて、浮いた噂の一つもなかっただけに、突然の結婚の報告には皆びっくりしたものだ。

その出会いというのが、実に彼女らしい。
東京都下で生まれ育ち、43歳の今日までずっと親元(彼女は一人娘)で暮らしてきた。近年、なぜか北海道にはまり、「北海道の人と知り合いたい」と周りにも吹聴していたところ、仕事関係者の1人のご主人が理工系企業の人事を担当している関係で、その会社でエンジニアをしている北海道出身の独身者を紹介してくれたのだという。
控えめでありながらプライドの高い面もある彼女なのに、その彼には何の違和感もなく、自然にすんなりと結婚まで運んでしまったという。
人生、何があるか分からないものだ。
神社であげた結婚式の写真には、小柄なOさんに白無垢姿がぴったりで、昔のお嫁さんのようにかわいらしい。

レストランのテーブルの上でも、ご主人との新居でも楽しんでもらえるように、ゴトウフローリストで、お花のアレンジメントを調達。今の季節らしく優しい色合いのアジサイを核にしながらも、新婚の2人をあらわすように大きなバラ2輪が映える、白とグリーンを基調にした美しいアレンジメントに、Oさんも喜んでくれた。
シャンパンを開けて、おいしいお料理をいただきながら、いつものように女3人で楽しいひとときを過ごした。
Oさんよりやや(?)年上の、2人の独身女たちにとっては、幸せのおすそ分けをいただいた気分の夕べとなった。

 2008/07/02 13:46  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


2008年も半分経過
今日で6月も終わり。つまり今年も、もう半分が終わろうとしている。
なぜ、こんなに早く時間が経ってしまうのだろう。
いったい、私は何をしているのかと、ただ焦るばかり。

世の中全体、ますます閉塞感がつのっている。
年明けからじわじわときていた物価高。アッと気がつくと、あれもこれも値上げ。こんなことは久しくなかったことだ。
「勝ち組」「負け組」という言い方はしたくないが、そういう格差が広がっているのも事実。何もかも人のせいにして、「誰でもよかった」と通り魔殺人をおこすまではいかなくても、やけをおこしてしまう可能性は、誰の中にもあるような気がする。

人生、山あり、谷あり。明日は何がおこるか分からない。
「谷」の時にどういう態勢でいるか、それが大事なことは頭では分かっていても、実際にはなかなか難しい。
確固とした目標はそんなに簡単に見つけられなくても、とにかく、目の前にあること、一つ一つに誠実に向き合っていきたい。
 2008/06/30 17:43  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


シャネルモバイルアート
午前中、広告ディレクター兼グラフィックデザイナーのIさんから、電話があった。
国立代々木競技場・オリンピックプラザで開いている「シャネル・モバイルアート」のチケットが2枚あるから、今日の午後、一緒に行かない?と急にお誘いを受けたのだ。
行く! 急いで午後の予定を調整。
ザハ・ハティド設計のパビリオンが、香港を皮切りに東京、ニューヨークと世界を巡回することで話題の美術展。入場料無料だが予約のみの限定したかたちで開催していて、もう無理かなと諦めていたのだった。

パビリオン内部は、シャネルのシンボルであるキルティングバッグをテーマに、20人の国際的なアーティストの作品が展示されている。
パビリオンに到着して、分刻みの予約制にしている意味が分かった。
入場者一人ひとりが、入り口で耳に装着したMP3に導かれ、まるで映画を見るように館内を見て回るようになっている。

モダンアートだけに奇抜な作品も少なくなかったが、私が一番好きだったのは、アルゼンチンのLeandro Erichによる「歩道」という作品。
シャネル本店のあるパリ・カンボン通りの建物の連なりが、歩道の水溜りに反映されている逆さまの映像を描いたビデオアートで、時間とともに光と影が微妙に変化するのが美しかった。

パリではよく外から窓を眺めて、その中にどんな人が暮らしているのか想像するのが、私は好きだ。特に夜は美しい。趣味のよい照明や調度品が見えていたりすると、ますます想像力がかきたてられる。映画のワンシーンのように。
日本のようにカーテンやブラインドでしっかり目隠ししたりせずに、半ば見られることも計算に入れているようなところがある。そういうのがフランスらしいなと思う。

そんなこんなで45分位の間、いろいろな作品を楽しんだ。オノ・ヨーコの作品である願い事をかける木に、七夕のように札をひっかけて、会場を出ようとすると、そこに「ジャンヌ・モロー」のアーティスト名の表示がある。
え! どれだったんだろうと思って、会場の人に聞くと、MP3の日本語以外の言語(英語、フランス語)が彼女の声だったという。
それは最初に言ってほしかった。ジャンヌ・モローの声に導かれて、このアート展を楽しみたかったと、会場運営者をちょっと恨んだ。
 2008/06/24 21:05  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(3)


梅雨の晴れ間に
家の近くにある恵比寿ガーデンプレイスに久しぶりに行った。
ここが出来たのを境に、恵比寿の街は大きく変わった、そういう場所だ。
オープン直後は頻繁に寄っていたが、最近は足を運ぶことがめっきり少なくなった。
一番利用していたのが食料品関係だが、使い勝手のいい所、安くて新鮮なものが売っている所が、他に出来たのが一番の原因だろう。
日本の商業施設というのは、余程、魅力的なことをやり続けていなければ、こういうふうに次々に新しいところに客をとられてしまう。

以前に比べると買い物客はめっきり減ったが、その分、静かで落ち着いた雰囲気になっている。
今日のようなしっとりした梅雨の晴れ間、くつろぎに来るのにはぴったり。日差しも強くなく、寒くも暑くもない。
コンビニで買った飲み物を片手に、ベンチに座ってのんびり読書をしていると、そよ風が気持ちいい。植え込みから、土や草の匂いもぷ〜んと匂ってくる。
鳩や雀が足元に寄ってくるのが気になるくらいで、後は邪魔をするものもない。

用事や買物を済ませるためでなく、ゆっくり外の空気の中でくつろぐために来るのもいいなと思った。そういう意味でここは、人工的ではあるが贅沢な空間だ。
商売はあがったりかもしれないが、遠くからの観光客でなく、地元の住民に愛されなければ、こういう場所は意味がない。
週末はイベントで集客することが欠かせないかもしれないが、平日はせめて地元のための憩いの場であってほしい。

 2008/06/23 20:17  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


I‘M NOT THERE
昨日午後、渋谷で『アイム・ノット・ゼア』という映画を観た。
実在の歌手、ボブ・ディランをモデルにしたもので、ディラン自身が製作を許可した唯一の伝記映画らしいが、ただの伝記ものではない。
監督は、アメリカのインディペンデント系のトッド・ヘインズ。以前に、ジュリアン・ムーアの『エデンより彼方に』を観たはずだが、その内容はまったく覚えていない。一般には『ベルベット・ゴールドマイン』の方が知られているかも。

ボブ・ディランという人物に、特別な興味や思い出があったわけではない。
人間を描く、伝記の手法というものを知りたいというのが、私の下心。

136分もの長編で、その中には6人のディランが登場する。しかも全部違う名前。
「アルチュール・ランボー」と名乗る詩人、11歳の黒人少年、偽りの結婚生活を送る映画スター、60年代の華麗なるロックンロールスター、シンガーソングライターで教会の牧師、西部開拓時代のアウトロー。
それぞれ時代設定も違う物語が時々入り乱れ、最初は何のこっちゃという感じだが、観ているうちに、これは6人のバラバラな人の物語を通して、1人のボブ・ディランという人の実像に迫ろうとしていることが徐々にわかってくる。
そもそも人間というのは、いろいろな側面を持っているのだ。
人間の本質は、性別、人種、時代を超える。

お馴染みの俳優が何人も登場しているが、しかし、「華麗なるロックンロールスター」を演じたケイト・ブランシェットにはたまげた。
顔も体つきも、どうしてこう違う人になりきれるんだろう。
銀座アルマーニタワーのオープニングで微笑んでいた、あの女優とは全くの別人。
男装とか、ディランの物真似といった域をはるかに超え、見事に「カメレオン女優」のキャリア更新だ。
 2008/06/19 17:18  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


肩こりとの闘い
ひどい肩こりに悩まされている。
20年前、スポーツジムに通い始めたのも、もともとは肩こりと運動不足の解消が目的だった。
猫背ぎみの体型と骨格、職業柄(PC使用、目を酷使、ストレスいっぱい)で、肩こりは慢性、長年の友という感じだが、ここ3ヶ月ほどは今までにない辛さになっているのだ。
更年期症状、つまりホルモンバランスの崩れからきていることは以前にも書いた。プラセンタ注射を週1回打っているが、まだ効果は出ない。
何しろ、寝ている間も辛い。日中動いている時はまだ気がまぎれていいが、横になっている時の方が、鉄板のような肩と首筋を意識することになる。
その分、がんばって運動しようとするから筋肉痛にもなって、ここ数日は体中が痛い。

そこで昨日、久しぶりにジム併設のスポーツマッサージ室に行った。
「以前と凝りの感じが違うので、念のために病院で見てもらった方がいいですよ。それか、・・さんって、霊感強いですか? ヘンな霊が取り付いている場合は、お祓いするという手も」
「え! そんな人、今までにあったの?」
「はい、一度だけ」
マッサージをしてくれたお馴染みのB君が気になることを言ったので、今日は朝から近くにある総合病院の整形外科に行ってきた。

触診やレントゲン検診などをしてもらった結果、神経とは関係なしとのこと。つまり40肩、50肩とは別の、ただの肩こり。特効薬はなくて、運動で緩和するしかないという。
特別な病気でないことが確認できて良かったが、また振り出しにもどった。

それにしても病院というところには患者さんがたくさん来ていて、いろいろなことを考えさせられる。
総合病院には普段はほとんど行かない私だが、病院のシステムが随分改善されていることに感心した。自分の番号が表示されるので、以前のようにいつになるのか全く分からずにイライラ待つことはだいぶ解消された。
それでも、朝9時半からびっちり3時間。3000円強を払って、確認と安心をもらい、今後の方向性が絞られた。
さて、やはりヨガに励むしかないか。鍼灸院のいいところも見つけなきゃ。
それともお祓いが先か…(!?)。

 2008/06/17 14:32  この記事のURL  /  コメント(2)  / トラックバック(0)


こんな仕事がしたい
私はHNK・ETV特集のファンだ。映像と文字の違いこそあれ、ドキュメンタリー番組はノンフィクション文学にも近いものがあって、その番組作りの裏側に思いをはせてしまう。昨夜放映された「アンジェイ・ワイダ 祖国ポーランドを取り続けた男」には、深く感銘を受けた。
番組の主人公にも、番組の制作者にも敬意を表したい。

最近、アカデミー外国映画賞をとった最新作『カティン』。アンジェイ・ワイダという監督の、その生い立ちから、この映画を生みだす経緯がたっぷりと描かれていた。
内容はもちろんのこと、この監督の人間としての魅力(容姿も含めて)にも引き込まれるものがあった。いい仕事をする人はかっこいい。

『灰とダイヤモンド』『地下水道』という題名とともに、アンジェイ・ワイダは何か気になる存在だったが、実は一度もその映画を観たことがない。
ポーランドと聞いて思い出すのは、かつて英語学校で一緒だった大学院生がポーランドを専門にしていて、何年か住んでいたという話を聞いたことぐらい。連帯のワレサ議長のことなど、何度もニュースなどで見聞きしていたはずだが、この国についての知識はほとんどなかった。

作品ごとの、政府の検閲との駆け引きは、まさにドラマのようだった。
アンジェイ・ワイダ監督は真っ向からぶつかったり、闘ったりするのではなく、好機を待つ。聴衆の良心を信じ、違う表現で、聴衆に訴える。「これで充分に理解してくれる」と。限られた条件内でいかに伝えるかを考え、しかも自分の信念は少しも変えないところがすごかった。
時間が経てば、状況は少しずつ変化するものだ。あせってはいけない。要はそのタイミングをいかにつかむか、そのためにはいつでも発表できるように準備しておかなければならない。
長年封印されていた事件も、いつかは明るみに出来るときが来る。
そうして、監督のライフワークの集大成のように、最後の作品として、自分の父親が虐殺された「カティン」事件を題材に、自分の母親を主人公にして映画を作ったのだった。

長い時間をかけて、自分の命をかけて、伝えていかなければならないものは、私にとって何だろう。
 2008/06/16 12:05  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


継続のみの英語学習
昨日は久しぶりに英語のレッスンに行った。
毎土曜日に個人レッスンをしているのだが、先生のBさんと私それぞれ用事があって、ここ2回程お休みしていたのだ。
3週間間があくと、なかなか調子が出ないもの。日本にいると、余程のことがなければ、日常生活で英語を使うということが極端に少ないから、週に1度、1時間でも、英語だけで会話をすることは大切な習慣になっている。
日本語教師をしている友人のKさんが、生徒にいい人がいると紹介してくれたのがBさん。身の回りにおこったエピソードや、それに対する自分の感じ方、考え方を材料に話を進めながら、英語のツボをうまく教えてくれる(ザルのように、すぐ忘れていくのだが…)。

「英語が出来る」「英語が出来ない」という言い方をよくするが、「出来る」と「出来ない」は決して二分割されているのでなく(完璧に出来る人も完璧に出来ない人もあまりいない)、その間は実に多様なレベルで成り立っている。
私の場合、「出来る」とは言い切れないが、「出来ない」とも言えない。英語でコミュニケーションをとることは苦ではないし、日常会話は特に問題ないけれど、ボキャブラリーはなかなか増えない。的確なボキャブラリーを使った微妙な表現や言い回しなどはなかなか身につかないのだ。
アメリカに20年住んでいる友人でさえ、いまだに「英語は難しい」「英語がうまく出来ない」と言う。

考えてみると、私の英語学習遍歴もだいぶ長くなってしまった。
学生時代は苦手意識が強かっただけに、長年放っておいたが、仕事上の必要性をきっかけに積極的にやろうと思ってスタートさせたのは、既に30代末であった。
ベルリッツのプライベートレッスンから始まり、ブリティッシュ・カウンシル、アテネ・フランセと、合計10年は学校に通った。随分投資した。
NHKで時々放映されているニューヨーク大学の授業風景を見ると、ブリティッシュ・カウンシルでのレッスンを思い出す。日本的な授業とは違って、自分の考えを言い合うもので、とても興味深かった。もう少し若かったら、海外に留学という道を選んでいたかもしれない(私の世代ではまだまだ非現実的で思いも寄らなかった)。
英語学校で、最も学生数が多く、レベルに一番幅があるのが中級クラス。その段階をやっとクリアし、その次の上級に至るのだが、実際の実力はなかなか伴わない(数年の海外生活体験者か、もしくは相当の努力家でないと無理。私は自分に甘い)。そこで、2,3年前から個人レッスンに切り替えたというわけだ。ストレスなく、少しずつ、(怠け者で勉強嫌いな)自分に合った勉強を続けていこうと思っている。

言葉を使う仕事をしている身にとっては、どんな言語であっても、言語を学ぶというのは実におもしろいし、そのおもしろさには限りが無い。
 2008/06/15 11:32  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


心地よい笑いを
笑顔のきれいな人、笑い声の素敵な人はいいなと、日頃から思っている。

笑いが心身の健康にも良いということも、だいぶ言われるようになってきた。
インドでは「笑いヨガ」がブームらしい。
笑いが健康にいいことは既に科学的に証明されていて、私がそれを最初に聞いたのは2年前。遺伝子の権威である村上和雄先生の話であった。笑いは医療の分野でも活用されているのだ。

だが、笑いにもいろいろあって、神経を逆撫でするような笑いに遭遇することも少なくない。
最近、駅構内や街中で、制服を着た女子高校生や大学生と思しき男の子が、ものすごく大きな笑い声を立てていたりする。
箸が転がってもおかしい年頃といった、ほほえましさは皆無。周りの人が驚いて振り返るほど素っ頓狂で、不自然に響き渡る笑い声だ。
本当におかしくて笑っているとは思えない。
あれはテレビのお笑い番組の影響なのだろうか。

そういう私は、もう何年も、お腹の底から笑っていないような気がする。
落語を聞いて、カラカラと笑えるようになりたい。

 2008/06/11 10:42  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


忘れ物には気をつけよう
先週の土曜日のことになるが、まさに冷や汗ものの事件があった。

前から約束していたフリーマーケットへ参加するため、パンパンに出品物を詰めた大きな黒バッグを肩に担いで、池袋から西武池袋線に乗った。
予定よりちょっと早めの準急に乗り込み、ドアの脇に黒バッグを置いて、ふ〜と一息。身軽になりたくて、肩から斜めがけしていたバッグも網棚にひょいと載せて、そのままドアのところに立っていた。
練馬で、同じホームに到着した各駅停車の電車を見るとガラガラ。時間にまだ余裕があるし、あっちで座って行こうと、とっさに乗り換える。
そこまで乗ってきた準急電車が発車する。
重い荷物からの解放感で暫しボーっとしていたが、発車の合図が鳴った瞬間、大変なことに気がつく。

あれ! バッグがない。網棚に載せたままだ!
一瞬、目的地の駅で待ち合わせしている人に知らせなきゃと思うが、携帯電話もあちらのバッグに入っている。お財布もSUICAも、いろいろな所の連絡先も、全部あっち。
ドアが閉まる瞬間に、大きな黒バッグを持って飛び降り、駅員さんを探すが誰もいない。バッグをそこに置いたまま、動き始めた電車の後尾にいる車掌さんのところに駆け寄ると、「駅の事務所に行ってください」。
ああ、そうか。ホームの階段を降りると、そこが忘れ物を扱う事務所。
心臓をバクバクさせながら事情を話すと、先へ走っているその電車と連絡をとってくれる。その返事を待たずに、とにかく待ち合わせしている駅まで行くことにした。幸いにも、忘れ物の集まる中継場所がその隣の駅の保谷だったのだ。

バッグが戻っていますようにと、祈るような気持ちで保谷駅に取りに行くと、駅員さんがカウンターの下から私のバッグを取り出してくれた。ああ、良かった〜。ありがとうございます! 
いや〜、それにしても、生きた心地がしなかった。
西武線の見事な連携プレイで無事、荷物が見つかったからいいものの、これが例えば海外ならどうなっていたことだろう。
売り物の詰まった大きな黒バッグを連れまわしながら、1ヶ月分のエネルギーを使い果たしたような1時間であった。
 2008/06/10 09:59  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


東大でバーチャル体験
昨日、「バーチャルリアリティ」「テレイグジスタンス」の研究で知られる東大のT教授のところへ、チームで取材に伺った。本郷にある東京大学の構内に入るのは、これで二度目。雨上がりのしっとりした空気の中で、美しいキャンパスが映える。
東大、しかも工学部とは、自分にとって一番遠い存在。こういう仕事がなければ、一生、縁がないところである。

実際に研究室でいくつかの装置を体験させていただいてからお話を伺ったので、まったく理系オンチの私も、実感としてすんなり入っていくことができた。
まず、「バーチャル」という言葉自体が、一般に日本で言われている「仮想」とは程遠く、「ほとんどリアル(実際とは違うが、本質的にはリアルに近い)」という意味。日本人がこの言葉を誤解しているように、ヨーロッパ人は「ロボット」に対する嫌悪感があるらしい。

こういう研究が現実社会の中でどういうふうに利用されていくのか。
よく言われるのは遠隔医療や介護の面だが、インターネットやテレビ電話の進化版にもなって、行きたいところ、会いたい人のところに飛んでいける。
ファッションビジネスと関連するところでは、カスタムメイドなど一人ひとりに合った対応が得意らしく、また自分がそこに行かなくても海外でショッピングすることもできる。
実際にそこにいるのとはやっぱり違うじゃないか、とは言うなかれ。そこにいたって、心そこにあらずということも多々ある。
また、この技術を使えば、無駄な資源やエネルギーをかけずに、効率よく、物を生産することも出来るのだという。

宇宙開発技術のおかげで、天気予報やカーナビといった便利な情報を享受しているように、バーチャルリアリティにまつわる各種の技術も、近い将来、いつの間にか私たちの生活になくてはならないものになっていくのだろう。
それにしても、実業の世界とはまったく別のところで、純粋に学問を行う人たちの姿に触れると、ある種の感動を覚える。

 2008/06/06 21:24  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


若作り過剰はイタイ
ファッション業界には、他人が着ているもののことをあれこれ指摘するような人がいるが、私は他人が何を着ていようとあまり気にならないタイプだ。
世の中がセンスのいいカッコイイ人ばかりになったら、おもしろくないじゃない。
ダサイはダサイなりに、個性があっていいじゃないかと思う。それより皆が同じような格好をするようになる方がキモチ悪い。
個人的な好みをいうと、完璧なのは苦手。何風とカテゴリーに分類することができない装い、それも野暮すれすれの、ちょっとはずした感じが好きだ。
私は、女性の場合だと小物に目が行くが、男性の場合はディテールではなくて、その人のかもし出す全体の雰囲気というところにしか関心が向かない。

そんな私だが、最近気になることがある。
40代や50代、時には60代の女性が、彼女たちの娘が着ているのと同じような格好をする人が増えたこと。
もちろん、その人らしく似合っていればとやかくは言わない。でも、何だかヘンな若作りで、妙にイタイ感じが多いのだ。
特に気になるのが、ハイウエスシルエットのチュニックとレギンスの組み合わせ。昨年から何か気になっていたが、今年はますます着用層が広がっていて、正直言ってもう見たくない!
ハイウエストのチュニックは体型をうまく隠してくれると、勘違いしているようで、このスタイルを好む人というのは、なぜか同様に、体型に緊張感がなさすぎ。

最初、若い層からスタートした流行が、時間を経て上の年代にも広がっていくというのは、昔からのファッションの鉄則だが、それにしても、だ。
母と娘がお友だちのように仲良くなっているせいもあって、40代以上の女性がとかく「かわいい」格好をする傾向が強まっているように思う。
ファッションは自由だから、好きなものを好きなように身に着ければいい。
だが、もう少し、大人の文化、大人の女性の装いというものがあっていいような気がする。
「女のコ」か「オバサン」かしかいない日本なんて、寂しすぎない?


 2008/06/04 21:03  この記事のURL  /  コメント(1)  / トラックバック(0)


消費過剰な自分を反省
昨夜、東京12チャンネルでおもしろい番組をやっていた。
「久米宏経済スペシャル“新ニッポン人現る”」
久々に久米宏が登場するのに加え、テーマに引かれた。「消費をしなくなった若者(20代)」というのは、最近、取材先でも方々で話題になるからだ。
さすが、経済やマーケティングに強いテレビ局、切り口が違う。

まず、分かりやすい例としてあげられていたのが、今の20代は車に興味がないということ。
なあんだ、それなら私も同じ。車に魅力を感じたことがないし、運転免許さえ持ってない。
ここまでは良かったが、次々に出てくる事例に、世代の特徴が浮かび上がってきた。
お酒を飲まない。
海外旅行に行かない。
お金を使わない(例外として出ていたのが、「東京ガールズコレクション」に熱狂する女の子たち)。
ものすごい資産を持っている個人トレーダーが、東京が見渡せる4億円のマンション(殺風景なインテリア)に住みながら、食事は立ち食いうどんやカップ麺で済ませている姿は象徴的だった。
いったい何が楽しくて生きているの? 

しかし、今の若者は自己投資をしない、生活を楽しむということをしない、とは言い切れないことが、番組の最後で明らかにされてくる。
身の丈の生活の中でそれなりに楽しんでいるし、社会貢献の意識は強いのだという。
幼い時のバブル崩壊や就職氷河期の記憶から、とにかく不安感が強く、貯蓄に励んでいるというのだ。貯蓄の目的を聞かれて「老後のため」と応える20代の彼らに、老後間近でも貯蓄のない自分は、ただただ唖然。
「楽観的」というと聞こえはいいが、「自己投資」「お金は天下の回り物」という言い訳で、あまり先のことは考えずに、お金はあるだけ使ってきた。というより、無くても使っている。
そういう自分の生活を変えなければいけない時期に来ている(もう遅いか)ことを、まさに子供の世代から教えられた。そういう番組であった。
 2008/06/02 11:35  この記事のURL  /  コメント(2)  / トラックバック(0)


ブログ100回達成!
昨年の10月末にブログをスタートさせて、まる7ヶ月。おかげさまで、今日で100回目を迎えることができた。
他の方々とは比べものにならないと思うが、アクセス数も6月には累計10000回を超えた。感謝、感謝である。

熱心に誘ってくださった千金楽さんには、心からお礼を言いたい。
最初は、できれば本名を出して、顔写真も載せてと、何度も勧められたが、そのうちに諦めてくださったか、今では「・・さんは今のままでもいいよ」とおっしゃっていただけるようになった。
ここで白状する必要はとくにないが、実は「上野君子」という名はペンネーム。30年以上も前に亡くなった私の祖母の昔の名前である。
肩書きや名前が持つ固有のイメージに束縛されずに、自由に書きたいことを書くための手段として選んだのだが、個人的には、このブログは、私を今も守ってくれている祖母に捧げたいという思いもある。

ブログのネタを探しながら、日常の些細なことでも、いろいろなことを意識して考える習慣がついたことは本当に良かった。
そして、何よりブログのおかげと思うのは、友人たちとの絆が深まったこと。このブログを「お気に入り」に入れて、頻繁に読んでくれる友人(一度も会ったことがない人も含めて)がいる。遠く海外にいる友人とも、お互い身近に感じられるようになった。本当の自分を理解してくれるいい友人に恵まれて、私は本当に幸せだなあとつくづく思う。

その人から生み出されたものというのは、まるでリトマス試験紙。書いたものをどうとらえてくれるかによって、私自身にどれだけ興味や好意を抱いていてくれるかだけでなく、その人の本質や価値観が手に取るように分かる(えらそうで、すみません)。
服装やインテリアというのも、大切な表現の一つだから、それに近いものがある。
だから、「真面目」「語調がきつい」というような表面的な反応は、ちょっと寂しい。

ブログやSNSにありがちな、当たり障りのない口調、他人に媚びたような文体というのは、私には書けない。というより、私らしくない。私は私のスタイルで、続けよう。
直球すぎるところもあるが、これからもここでは自分の気持ちをストレートに表現していきたいと思っている。何事も絶対的自己肯定で行くのが、「ウェルエイジング」の秘訣だ。
皆さん、今後もよろしくお願いします。
 2008/06/01 14:07  この記事のURL  /  コメント(3)  / トラックバック(0)


カリスマ女社長の共通項
昨日、港北エリアでちょっと知られる婦人服専門店の女性オーナー、A子さんに取材した。
もともとはフリーマーケットで基盤を作り、前身はリサイクルショップというところが、いかにも今の時代らしい。
新しい商業施設や一等地に、リサイクルショップや質屋が次々に登場するご時勢を、10年前に誰が想像しただろう。

商売で成功しているカリスマ女社長と言われる人には、共通点がある。
まず、波乱万丈の人生。子供が複数いて、離婚歴ありというパターン。
一度も結婚せず、子供もなしで、こつこつ仕事一筋なんていう人は、あまり共感や憧れの対象にならない。
バリバリの経営者というタイプではなく、いわゆる世の中のマーケティングなどには疎い(それでいて、ちゃんと計算は出来る)、普通の女性と等身大というのがポイントだ。地道ではあるが、多分に怖いもの知らず。
そして、会社や職場が、彼女たちにとっての「家庭」。つまり、社員やお客さんと一緒に、ある意味での「ユートピア(理想郷)」を目指しているという面も女性ならではだ。

A子さんの場合、アーティストの家庭環境(両親がヒッピー世代?)もあって、小さい時から生きるための知恵と工夫を自分で養ってきたから、自然にクリエイティブな能力が備わっている。
チャーミングだし、実に共感できるライフスタイルをしている人なのだが、ただ、言葉にすると、何を聞いても新鮮な驚きがない。
「物(服)は単なるツール。服を通して、その人がフタをしているものを開放させ、人生の楽しさを伝えたい」
「アダムとイヴの原点に戻りたい」

どれも、既にどこかで聞いたことがある感じ。ああ、これこそが情報過多時代の宿命か。
そもそも、自由奔放な?私にとっては当たり前。こういう人って、昔からいるし。
いや、それ以上に、私も年をとってしまったのかなあ。
既成の発想を根底からくつがえしてくれるような人、めちゃくちゃ新鮮な感動を与えてくれる人に出会いたい…
以上、中年ライターのボヤキでした。

 2008/05/31 23:45  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


遅ればせながらIKEA
ららぽーと横浜に行く用事があったので、帰りに、同じ港北エリアにあるIKEAに寄ってみた。同じ港北といっても、ららぽーとからIKEAまでは近そうだが、歩くとかなりの距離になると聞いていたので、タクシーで移動(それしか手段がない)。
ららぽーととIKEAが出来たことによって、特に週末は道も大混雑。人の流れが変わってしまった、とタクシーの運転手さんが説明してくれた。
近隣に巨大ニュータウンがあるというものの、この2つがなかったら、この辺りは殺風景な工業地帯。

前から一度行きたいと思っていたIKEAは、評判どおり、あらゆるシステムがうまく考えられていた。全体の規模もちょうどいい感じ。
新しい家に引越ししたり、子供部屋を作ったり、なんていうときに重宝しそうなものが充実している。しかも、基本にのっとったシンプルなテイストがいい。
日本の住宅事情を考慮した部屋の提案など、日本市場に歩み寄った取り組みが見られる。
こうして、日本人の生活が少しずつ変化していくんだろうな、と実感。

でも、特に目的がないと、値段が安いだけに、あまり考えずにただ無駄なものを買ってしまいそう。
今日は結局、セルフのコーヒーを1杯(100円)飲んだだけで終わった。

一番感激したのは、田園調布駅までのシャトルバスが出ていて、30分で到着したこと(信号待ちがうまく行けば、あと5分は短縮できるかも)。多摩川を越えるとあっという間だ。
ただ、1時間半に1本という本数だから、タイミングを外すと悲惨なことになる。
これで勝手が分かったので、次は買物に来ようと、私の中の引越し虫がうずきだした。
 2008/05/30 21:48  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


定年退職者への贈り物
「2007年問題」という言い方はさすがにしなくなったが、団塊世代の大量退職が続いている。私の周りでも、お世話になった方々が、次々に定年退職をされる。
ある寂しさと共に、10年後は自分たち世代かと、焦りが強まる。

「長年のお勤め、お疲れ様でした」という思いを込めて、お世話になった方へ何か感謝の気持ちを差し上げたいと思う。ところが、適当なものがなかなか見つからない。
世の中は、女性への贈り物については、モノも提案もあふれているが、男性への贈り物というのはそうあるものではないのだ。
方々、売場を見て回っても、男性物というのは大抵がオンタイム向け。これから自分のプライベートな生活を楽しんでください、という思いを伝えたいのに、目につくのはビジネス需要ばかり。
余程親しい間柄なら別だが、男性への贈りものというのは、本当に難しい。
ましてや、60歳の男性が喜んでいただけそうなものを見つけるのは困難だ。

あくまで仕事で親しくさせていただいた感謝の気持ちだから、予算的には、5000円から1万円の間。
まず、ワインやお酒というのは妥当な線だろう。でも、お酒をまったく飲まない方もいる。
では、会社を去るその日にお花? 欧米と違って、日本では女性から男性へのお花の贈り物はゆるされるとして、会社にいきなり花束というのが迷惑な場合もある。最近では顧問など役職を変えて会社に残る人もいるから、「退職」のラインがあいまいな場合も多い。
ゴルフ好きの人は多いので、それに関連するもので何かないかと思うが、1万円以下という予算枠、その人の好みにあまり左右されないものとなると…。
まさか、アンダーウエアを贈るわけにもいかないし、困ったなあ。

とびきりおしゃれな人や趣味人なら、まだ考えやすいだろう。普通の60歳のオジサマ方が喜んでいただけるものって、本当に難しい。
ファッションビジネス業界、流通関係の皆さん、この市場は完全に隙間ですよ。

 2008/05/27 10:32  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


家に他人を入れない日本人
今、話題のニュービジネス、「洗濯代行サービス」の取材で、なるほどと思うことがあった。
日本人特有のメンタリティとして、自分の家になるべく他人を入れたがらない(家の広さに関係なく)。ホームパーティをあまりやらないことを考えても明白だ。
寝室など、親しい人しか入れないパーソナルスペースがあるのではなく、日本人の場合は家全部がパーソナルスペース。これはどうやら農耕民族の特性らしい。
だから、家事のアウトソーシングの成功の秘訣は、家の中に入れることではなく、外に出すことだというのだ。

確かに、食事だって家に料理を作りに来てもらうのではなくて、食べ物のデリバリーだし、育児保育も家にベビーシッターさんに来てもらうのではなく、預けるための外の施設。ハウスクリーニングもベビーシッターも、家の鍵を預けて、自分たちは外出してしまうということをできる人はまだ少ないだろう。

欧米諸国では、これは移民救済の意味合いもあると思うが、あるレベル以上の家には、毎日ではなくても家の掃除、または料理をしてくれる人が通ってくるケースが多い。リーズナブルな価格でそういうことが可能な社会のシステムができている。
中国でも、事業家の家では使用人を置くことが普通だという。
考えてみると、余程の家でない限り、家に家族以外の人がいないのは日本だけではないだろうか。
(ちなみに戦前は違う。祖母は昔よく、田舎から出てきて住み込みで家の用事や子供の世話をして、家族のようにしていた「ねえや」の話を懐かしそうにしていた)

核家族で共稼ぎ家庭が多いのに、男性の家事・子育て参加が一般的にはまだ低いから、どうしても女性だけに負担がかかってしまう。
それでも他人に料理や家事をしてもらうことに、女性自身が罪悪感を持ってしまうのだ。男性の意識もそうだが、仕事も家も完璧にしようという女性の意識も変わらなくてはならない。日本の女性ほど家事が好きな人たちもいないだろう。知らないうちに伝統的な「良妻賢母」を植え付けられている。
ちなみに、私は妻でも母でもないが、家事は全般的に嫌いではない。

でも、これが老人介護によって徐々に変わっている。
以前は家族だけでどうにかするものであった介護だが、少しずつではあるが、コミュニティやプロの力を借りることが当たり前になってきた。そうではなくては家族がつぶれてしまう。
介護という切実なニーズによってだが、家に他人を入れるようになってきたことは、いい兆しだと思う。
 2008/05/25 21:30  この記事のURL  /  コメント(1)  / トラックバック(0)


リルケの詩一篇
菩提樹の初花が (リルケ詩、片山利彦訳)

菩提樹の初花が
ひっそりと風に散り
私の心におおけなく早くも浮ふ幻
それは樹翳の緑に染んで座っている君の姿
初めての母の仕事にいそしんで
みどり児の肌衣縫う君の姿

針の手留めず歌う君のうたは
五月(さつき)の中へひびき入る

花咲け、花咲け、花咲く樹
親しい庭の奥で咲け
花咲け、花咲け、花咲く樹
わたしはここで待っている
こえなき夢の充ちるのを

花咲け、花咲け、花咲く樹
夏には実りが豊かだろう
花咲け、花咲け、花咲く樹
私は着ものを縫っている
太陽(ひ)の輝きも縫いこんで

花咲け、花咲け、花咲く樹
実りのときはやがて来る
花咲け、花咲け、花咲く樹
わたしの大事なあこがれの
意味(こころ)を告げよ、花咲く樹

君は歌う、歌いながら
その歌こそは五月そのもの

その樹の花は咲くだろう
どの樹々よりも際立って
君の縫うその着ものは
晴れ晴れとかがやいて
若い母に成る君の仕事は
樹の翳の住んだ緑に清まって
小さな肌着を作るだろう


30数年一人で続けてきた下着専門店を、最近閉店したSさん。
店を始める時の最初のイメージにあったというリルケの詩。それを書き写したメモをそっと私に渡してくれた。
ネットで調べたら、舞踏家・大野一雄がかつてこの詩を演目に踊っている。
 2008/05/23 00:11  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


「よりどころ」と客観性
映画『靖国』を観た。
いろいろ物議をかもしているだけに、ちょっと緊張もしたが、映画館も客席も実に静かな雰囲気だった。
映画割引の日だったこともあって、いつもより客数は多いだろうが、こぢんまりとした映画館はほぼ満席。男女の比率でいうと男性がやや多いが、男女とも年代がうまくばらけている感じで、男性は学生か50代以上(平日昼間だから中間が抜けているのは当たり前)、女性は各年代が平均的にいる。通常の映画のようなおばさまグループは見当たらず、ほとんどが一人で来ている。

さて、内容は…。ドキュメンタリー映画の王道を行っていると思った。
中国人の監督にとっては民族的に複雑な思いもあるだろうに、実に客観的に淡々と描いている。
それにしても、靖国神社を一つの基点にしながら、そこに登場する人々が多種多様であることに驚いた。イデオロギーもスタンスの置き方も実にさまざまだし、日本人だけの問題でもない。
首相や政治家が参拝することを反対とか賛成とかいう問題の奥には、実に複雑な問題がからみあっている。

はたからは奇妙で不気味に見える例も少なくないのだが、当人にとっては、それが生きていることの「よりどころ」であるのだ。それを失っては、それこそアイデンティティクライシスに陥るだろう。
戦争で親や親族を亡くしている人たちにとって、それは格別の思いであると思うし、それに対して他人が非難することはおろか、あれこれ言える筋合いのものではない。

生きるための「よりどころ」を持つことは、誰にも必要だ。
何かへの強い愛情とか信念を持つのはいいが、それがあまりに独りよがりで排他的になり、客観性を見失った時に、他者との軋轢、醜い争いを生む。
こういうことは私たちの身近にもたくさん転がっている。
 2008/05/22 10:39  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


トレンドだけがファッション?
ファッションは受難の時代を迎えている。
一昨日、デザイナーの友人たちと話していて、その切実さを痛感した。
元気なブランドはほんの一部。世の中のトレンドにうまく乗っているところだけ。
トレンドを意識しない、自分の好きな世界を追求しているブランドにとっては、まったく先が見えない。

もちろん、デザイナー自身のビジネス感覚や努力が必須であることはいうまでもない。
でも、それ以上に、トレンドでなくてもデザイナーの世界を大切にするようなニーズが、そもそも日本にはそれほどないのだと思う。
考えてみると、「ルームス」をはじめとする合同展の盛況にも見て取れるように、独立してブランドを始めるデザイナーは非常に増えている。
しかも、昔に比べると、平均レベルが非常に高い。
だが、実際のマーケット規模に対して、独立系デザイナーのブランドが多すぎて飽和状態。競争が激しくなっているのだ。

どこの商業施設を見ても、同じようなセレクトショップが並んでいる。売られているものも大した違いはない。最近はそういう店を見るのも嫌になった。
最近のバイヤーは商品を選ぶ目がなくなったという話は、方々から聞くが、売りやすさや条件面でセレクトしているのは見え見えだ。

トレンドだけがファッションなのか。
世の中のトレンドばかりを意識している人に、センスのいい人、美意識の高い人はあまりいないものだ。
それはメディアの世界でもまったく同じ。売れ筋ネタ、メジャーな情報だけを追いかけているような雑誌や新聞ばかりで、新しいものを発掘しようという気概のある編集者、本当に見る目のある記者はどこにいるのだろう。
私も長年ライター稼業をしているが、共感し合える編集者にそう出会えるものではない。特にファッションビジネスの世界では皆無といったらいい過ぎか。
だから、デザイナーたちの悶々とした気持ちは痛いほどよく分かる。

でも、そんなグチを言っていても始まらない。
新しい市場は自分で作っていくしかないのだから。
 2008/05/20 21:54  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


友人と我が家でごはん
昨夜は友人たちと、久々に我が家でごはんとなった。
Nさんが家の近くでイベントをしているので、それなら1日位、仕事が終わってからごはんを食べに寄って、Yさんもぜひ一緒に、ということで2人の友人(2人とも自分のブランドを持つデザイナー)が来てくれたのだ。

毎日のルーティンである食事の用意と、人を呼んでというのは別物。
人をお招きしてお食事をふるまうということをそれほど頻繁にしているわけではないので、非日常的なイベント感覚で楽しめる。
いや、そういう余裕のある時しか人は呼ばない。
いつもの一人の時とは違うもの、しかもなるべく旬の材料を使った料理にしたいと思う。が、自分が負担に感じてしまうようなものは最初から考えない。
昔は、冬は鍋物、春は手巻き寿司というように、材料を用意しておいて、テーブルで各自にというスタイルが多かった。
献立に合わせて、いつもは使わない食器を出したり、テーブルセットを整えたりするのも楽しいものだ。

昨夜は8時半スタートという遅めの時間帯だったので、すぐ食事に入られるような献立にした。
主役は、かつおの手こねすし。すし飯に漬けのかつおと万能葱のみじん切りを混ぜただけという簡単なもの。昨年もこの時期に同じものを作った。
副菜というか箸休めは、そら豆を茹でたもの、切り干し大根の煮付け、水菜の胡麻和え、カブのあっさり塩漬け、あさりの味噌汁と、いずれも単品の野菜を中心にした、ヘルシーでシンプルな顔ぶれ。食事がメインだけど、お酒ももちろん欠かせない。
作りながら少しずつではなく、最初からほとんどいっせいにテーブルに並べたので、用意するのも楽チン。

何よりうれしかったのは、2人がおいしいおいしいと食べてくれて、用意したものがきれいに無くなったこと。それにいろいろな話もできて、私自身が楽しい時間を過ごせた。
アッと気がつくと、とっくに12時を回っている。最終電車もあぶなくなりタクシーで帰ると帰っていく元気いっぱいの2人に、エネルギーをもらった気がした。
私は洗い物をすべて済ませ、すっきりしたところでお風呂に入って就寝。
仕事もしたし、ジムにも行ったし… 実にいい一日であった。


 2008/05/19 10:45  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


早や冷房の季節到来
ここ数日の低温で、体調を崩した人が少なくないようだ。私も、仕事の極度なストレスと冷えが重なって、肩から背中にかけて鉄板のように固まっていた。
最近、私の体調は天候が敏感に反映されるようになり、低気圧が来る前などは辛くて仕方ない。

今日になって晴天となり、ようやく平年並みの気温にもどってホッとしたのもつかの間、別の悩みが待ち構えていた。
気温はまだ22℃程度だというのに、電車などにはもう必要以上の冷房が入っている!
世の中にはあれほど「CO2削減」が飛び交っているのに、なぜ過剰冷房はあまり減らないんだろうか。夏になれば男性が軽装になるが、今はその前だから、余計に温度が下げられてしまうのだろう。昨日まで、暖房を入れていたところもある位なのに…。

私は冷房が大の苦手。40代以降、より敏感になった。
レストランでも、人のオフィスでも、スポーツジムのスタジオでも、「寒い、寒い」を連呼して、温度を上げていただくという勝手な人間だ。
ある時は、無人のゆりかもめの車内から、防災センターに電話して訴えたこともある。
朝のラッシュ時とガラガラの時間帯で、温度設定を変えていないということはザラのよう。こういうことはきちんと伝えないといけない。冷房の寒さを我慢することほど、もったいないことはない。
寒がりというだけでなく、体の健康のためにも、肌を良い状態に保つためにも、そしてもちろん電力の節約や環境のためにも、自宅では年間通してなるべくエアコンをつけない生活をしたいと考えている。

冷房が苦手な私は、東南アジアの都会には住めないなとつくづく思う。
香港もシンガポールも、冷房がきつくて、外との温度差、湿度さがあまりにも大きいので、体調を壊してしまう。

私にとっての快適で幸せな生活のイメージ――それは、ぽかぽかした外でくつろいでいる雰囲気(強い日差しはこれまた苦手なので、あくまで適度な太陽に、植物や土の香り)。エアコンをがんがんつけている室内とは対極にある。




 2008/05/15 21:27  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


手芸熱、冷めやらぬ
年に1度、東京ビッグサイトで開催される手芸の見本市、「日本ホビーショー」に久しぶりに行ってみた。
会場のお客さんの中心となるのは、通常の見本市のような業者ではなく、入場料1000円を払って入場する一般客。当然のことながら、女性でいっぱい。

手芸と一口でいってもその種類は幅広く、その時々で人気の手芸は刻々と変化している。
今年の一番の旬となっていたのは、スクラップブッキング。何のことはない、デジカメや携帯で写真を撮ることはすっかり定着したから、その思い出の写真に多様な飾りを施して、インテリアの装飾用にというわけ。
自分史の執筆とか、うちの父親が作っているワケの分からないスクラップとも、根は同じ。記録しておきたい、思い出を残したいという人々の欲求は永遠なのだ。
昔からクリエイティブな人はそれぞれ独自に楽しんでいたことも、ブームになると、カリスマ講師のもと、皆、お勉強のように習い始める。
家にあるものを利用するならまだしも、スクラップブッキング用にいろいろな材料が開発されている。こんなに世の中がエコ、エコとなっているのに、またたくさんのゴミが出る! 
もともと手先を動かすことの好きな私。何か作りたいといつも思っているが、これ以上、いらないゴミは出したくない。

古今東西、編み物、縫い物などは、女性の嗜みであると同時に、繰り返し作業が女性に必要な根気を育てると同時に、女性にとっては一つの現実逃避であり、無心で手を動かすことによって、日常の苦しみや悲しみを和らげてくれるものであった。
でも今や、手芸は女子供だけのものと思ったら大間違い。一般公募による「ホビー大賞グランプリ」は、何と64歳の男性の編み物の作品。編み物歴はまだ2年強だという。
男性がもっとどんどん参加したら、いい方向に変化していくに違いない。

それにしても、手芸関係の本はあんなにおしゃれになっているのに、日本のホビー業界は相変わらずチマチマした安物店の売場みたい(失礼!)。アメリカやヨーロッパとの一番の違いは、色がくすんで汚いことだ。
本来はファッションに近いはずなのに、手芸はファッションと一番遠く感じる。
昨今の手芸ブームをもっとおしゃれにするために、ファッション業界は何かできないだろうか。

今回の「ホビー産業大賞」(経済産業大臣賞)に靴下メーカー、岡本の「手あみ靴下コンテスト」が輝いていたが、こういうふうに産業界からも、人々の手作り熱を刺激する仕掛けをどんどん提案していただきたい。
でも、「手作り」と「産業」の折り合いをつけるのは難しい。産業になると、ちっともおしゃれじゃなくなるから。
 2008/05/09 21:34  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


和洋融合の魅力
連休最終日、きれいに晴れ渡った。
ゆったりした時間の流れの中で、思い立って美術展や個展のはしご。
最後は、東京都庭園美術館でやっている「世界に誇る和製テーブルウエア・オールドノリタケと懐かしの洋食器」へ。

「オールドノリタケ」という呼び方をするようになったのは、90年代以降。バブル期のお宝ブームで、輸出用に作られていたノリタケの古い時代のものが注目され、コレクターが増えてからのことのようだ。
今回はノリタケ(日本陶器)だけではなく、香蘭社をはじめ、明治から昭和初期までの各地の主要な洋食器メーカーのものが一緒に出展されていた。
高級磁器として名高い大倉陶器のものも数点。白にエンジの縁取りを施したデザインは、色彩豊かなコレクションの中ではシンプルでありながら、その絶妙な配色やフォルムが美しく、印象に残った。

当初は、欧米の下請け的な役割を果たしていたのだろう。
だが、単に西洋の物まねでなく、日本古来の伝統や技術、感性もそこに盛り込みながら、後世に価値あるものとして受け継がれていく様子は、テキスタイルデザインにも共通するものがある。
特に大正時代から昭和初期にかけての、アール・デコ調のモダンな色柄などは、同時代の着物の柄とも酷似している。
昔から「和洋折衷」(和洋融合)というか、異文化がミックスしたものに惹かれる私は、国や時代をはるかに超えた品々を見ると、本当に豊かな気持ちになれる。
正統派の豪華な花柄や風景画よりも、幾何学柄や更紗模様、ちょっとアラブ風の金使いが、個人的には好み。

テーブルウエアもファッションも、その時代性やライフスタイルをあらわすという意味では、大きな違いはない。
ファッションビジネス関係者にもぜひお勧めです。6月15日まで。

 2008/05/06 20:40  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


お裾分けはうれしい
一般の家庭よりは少ないだろうが、私も時々、食べ物のいただきものをする。
各種お菓子をはじめ、各地の名産品、自宅菜園で採れた野菜…。パン屋さんに取材した際、焼きたてのおいしいパンを山ほどいただいた時もある。
一人ではとても食べきれない、というより一人で楽しむにはもったいないと思うので、ほんの少しでも「これお裾分けだけど…」と、ちょうど会う約束をしていた友人に軽く渡す(家族分はないことが多いので、一人暮らしかせいぜい二人暮らしの人が最適)。
すぐ食べた方がいいものについては、日頃お世話になっているマンションの管理人さんに差し上げる(この管理人さんのすばらしさについては、また項を改めていつか触れたいと思う)。
「お裾分け」は、別名「お福分け」とも言うようで、うれしい気持ちをシェアする気持ちがこもっている。何よりもらう側にも負担がないのがいい。

この連休、ちょうど両親の家に帰省中に、九州の親戚から大きなスイカが届いた。
わぁ〜、こんな大きなスイカがまるごと1個、家にあるなんて、何年ぶりだろう。子供の時以来かもしれない。
なぜか最近は、あまりスイカを食べなくなった。
果物の中でもスイカは、味そのものはどうっていうことはないが、妙に日本の夏の郷愁を感じさせる。
久しぶりでうれしいけれど、とても2人や3人では食べられない。
冷やしておくにも、冷蔵庫を整理してどうにか半分は入るが、1個分はとうてい無理。
そこで、同じ集合住宅に住む近所の人に、お裾分けしようということになった。

半分に切ったものをまた半分にして、1つは向かい側に最近越してきた若いご夫婦の家へ(数週間前にクッキーを持ってお引越しの挨拶に見えたらしい)、もう1つは上のフロアに住む一人暮らしの高齢のご婦人(同年代の母が時々話を交わすらしい)のところへ。
それぞれ在宅を確認してから、切り立てのスイカにラップをかけて渡しに行く。
両方とも喜んでいただいたようで、母も良かった、良かったと満足げ。
あと半分は、少しずつ家でいただくことにする。

立派なスイカをぜひ写真に撮っておこうと思ったのに、すっかり忘れて切り分けてしまった。写真はありませんが、想像して楽しんでみてください。
 2008/05/05 16:21  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)


サロンのストレス
美容院、ネイルサロン、ヘッドスパ、アロママッサージ…。私は、ボディケアにまつわるあらゆる種類のサロンが好き。それぞれに理由はあるが、いうなれば一種の快楽消費。「罪の意識を感じるから行けない」という友人もいる。かなりの贅沢なことかもしれないが、時間と経済がゆるせば、私はもっと頻繁に通いたい(上野千鶴子的に言うと、こういうふうに体を触られるのは「介護」される時の予行練習)。

でも、本当に満足できるサロンというのは、そうあるものでない。ポイントカードがあるから、家の近くだからと、惰性で行ってしまっているのが現情だ。
海外に比べると日本のサロンはレベルが平均化しているとは思うが、それでも本当に一級のサービスを受けようと思うと、お金を惜しんでいてはだめだろう。いやそれ以上に、自分に合ったところを見つけるまでにかなりの労力を要す。
サロンでの満足というのは、店というより、担当してくれる個人の技術やセンスにかかっているのだが、その人が良くても、アシスタントがおバカだったりでイライラさせられたりする。また、せっかくいい人に出会って指名していても、いつのまにかその人が店を辞めてしまったりで、また一から出直しとなる。ふ〜っ。

今日は、一気に夏らしくなったところで、連休を前に(別にリゾートに行くわけではないが)、フットケア(ペディキュアから角質除去まで)とまつげパーマに行ってきた。
この両方を同時に3人がかりでやってくれたのだが、それでも合計2時間強。結構な時間である。ベッドに横たわってうつらうつら休んでいたものの、途中、スタッフの人たちの言動の無神経さが気に障り、落ち着かない。
丁寧であってもどこかずれた対応というものほど、神経を逆撫でするものはない。
もう乾いているから大丈夫ですよという言葉を疑わず、そのまま靴をはいて家に帰ると、何とペディキュアがよれてしまっているではないか。
これは伝えなきゃと早速(冷静に)電話するが、「やり直しにいらっしゃる時間はありませんか?」という返答。
そういうことじゃないんだよね。また2時間もかけてやり直す元気はどこにもない。
慎重さが足りなかった自分も悪いから、相手ばかりを責められない。でも、こういう時は、あの時間を返してといいたいほどの虚しさを感じるものだ。

サロンに行くのは、ストレス解消も大きな目的であるのに、こうしてストレスいっぱいで終わることも少なくないのだ。
サービス業に従事する人は、その専門技術はもちろんのこと、それ以上に相手(お客)の気持ちを思いやる想像力というものがいかに大事か。
特にお客の体に直接触れるサロン業務は、この辺の差が出てしまう。
ただ、そういう人間性は、教育されたからといって習得できるものではないだろう。
 2008/05/01 22:22  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

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