|
||
週末はずっと「地球交響曲」を観ていました。 第3番は、通過点としての死。 生命を紡いでいく必要条件として与えられた死です。 「人はなぜ死ぬのか」 一度は誰もが考えたことのあること。 私が初めて死の存在を意識したのは、 幼い頃、喘息と扁桃腺による発熱を一緒に煩ったとき。 高熱にうなされ咳に苦しみながら、 なぜか私は突然祖母のことを考えた。 幼い私にとっては、父母と姿が違う祖母は、 始めからあの姿なのだと、どこか思い込んでいるところがあった。 が、なぜか熱にうなされながら、 人は祖母のように姿形が変化していき、 その先には必ず死が待っているということを感じてしまった。 そのときはただただ恐ろしくて泣いていたが、 子供ながらに、その恐怖を克服したいと思い始めた。 やがてスポーツにより健康を取り戻した私は、 頻繁にとは言えないが、しばしば「死」を思い出しては、 死ぬ瞬間に思いを馳せた。 分かりやすく息を止めたりしてみて、 苦しいのだろうな、ということだけは想像がついた。 それでも、なぜ死ぬのかは分からなかった。 思春期を迎え、高校を卒業するまで、 しばらく「死」について考えることを忘れていた。 けれど、就職してまもなくの頃、 「惑星ザルドス」という映画を観て、 突然、全ての生命に死が訪れることが幸せであるとの発想に至った。 その後、交配により多様な遺伝子を作り出すことにより、 生命が進化をとげていくことも知った。 最も身近な人の死を経験したときに、 その人がその瞬間穏やかであったことで、 自然な死が安らかであることを知った。 「地球交響曲第3番」では、 写真家の故星野道夫氏に焦点があたっている。 私も、星野氏がヒグマに襲われ亡くなったというニュースを覚えていた。 彼がどんな人間であったか、 彼に関わった人々が語っていく。 それと織り混ざるように、 宇宙物理学者のフリーマン・ダイソンと彼の息子、 外洋カヌー航海者のナイノア・トンプソン の物語が語られていく。 ガイアのゆっくりと流れる時間の中では、 一瞬の輝きでしかない私達の命。 一瞬すぎて、ゆっくりとした大きな変化を感じることが出来ない。 私達の死は、 次の世代に生きる場所を明け渡すこと。 交配により、遺伝子を新しく紡いで紡いで多様に多様を重ね、 ゆっくと変化していくこと。 ガイアの変化とともに。 死は新しい生への通過点。 そこで、「地球交響曲第2番」のテーマであった「魂」が思い起こされる。 ダライ・ラマの輪廻転生について説法が、効いてくる。 ただただ賛美するのは得意ではないが、 「地球交響曲」は順番に見てこそ何かをより感じられる、 という点が素晴らしい気がする。 製作者も、何かに導かれながらこれを作っていったようだ。 星野氏が亡くなる前から第3番への出演オファーは成されていて、 この作品が作られる過程でも「死」が通過点として当然のことのように存在した。 大いなるエネルギー、力、その中での小さな営み、愛、利他の心。 それらを感じることを忘れたくはないが、 日々の生活でいつの間にか薄れていってしまう。 そんなとき、 こうやって観れば思い出させてくれる物語が存在するのは、 とてもありがたい。 何かをするためではなく、 ただ感じるために。 それで十分な気がする。 あと、4番と5番。 楽しみだ。 |






