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先日、「組織文化」に関するプロジェクトをご一緒させていただいている大学の先生方お二人と打ち合わせを兼ねた忘年の宴を催しました。 それぞれ、関西と中部の公立大学で経営学を教えておられるのですが、実は共通の恩師が加護野忠男先生で、研究テーマは組織論というお二人です。お一方とは、大学院時代にの講義で席を並べたご縁もあり、今回のようにプロジェクトをご一緒させていただいてりしております。 12年前の当時は、社会人対象のMBAコースの黎明期(私が神戸大学の第5期生になります)で、私の代は実験的に一年コースが設けられていました。最初の半年で、夜や土日だけでなく平日の昼間の講義でも単位を取得し、後半で一気に修士論文を仕上げるという強行スケジュールでした。おかげで昼間の講義でプロパーの院生と机を並べることができ、今でも親交のある先生方が多数いらっしゃるので、私にとっては素晴らしい財産になっています。 その席でお二人が口を揃えてぼやかれてたのが、大学における行き過ぎた個人情報保護法の解釈と運用でした。大学ではゼミ生や院生の受け入れの際に面接試験が行われるのですが、同法のおかげで面接が全くその体をなさなくなったというぼやきです。 お酒の席ゆえに、多少面白おかしくするために誇張はされていたでしょうが、なんでも面接時に本人の趣味嗜好はもちろん、家族関係や家族や友人との印象に残った出来事や思い出などを一切聞いてはならないというお達しが出されているとの由。結果、その人の人となりは全く窺い知ることができず、ペーパーテストの結果のみで選考を行わざるを得ないのが実情だそうです。本人が勝手にペラペラしゃべればラッキーなのですが、重要な意味情報につながる話は、ほとんど何も聞けないで終わるそうです。 法律の解釈と運用には高いレベルの理解力と応用力が求められます。その一方で、形式的に受け止めて形式的に運用することはいとも簡単で、今回の例は典型的な形式解釈、形式運用の結果です。立法の趣旨としてどのような構成要件が想定されているのかを概念的にもしっかりと理解し、守られるべき法益は何なのかを的確に掌握しなければ、実質的理解と正しい運用はおぼつきません。 ことに個人情報保護法は、社会面を賑わす様々な事例が発生し続けていることから、各関係者が必要以上にデリケートになった挙句、行き過ぎた形式運用に陥っているケースがままある法律の代表例です。ニュースで見聞きする個人情報漏えい事案には弁解の余地はありませんが、そもそも本法の趣旨は、“本来の目的と用途以外での個人の情報の利用、転用は本人の承諾がない限り許されない”というものです。 それなのに、面接試験で“個人にかかわることは何も聞くことができない”という縛りとして現場が萎縮しているとすれば、お達しを出す側の理解力と運用力に?を付けざるを得ません。 やっかいなのは、理解力がないのではなく、責任能力を果たしたくないという意思が働いている場合も多々あるので注意が必要である点です。形式的には問題が起こりえないようなお達しを出すことで自分の仕事が終わって責任が回避できていることにしたい人々、すなわちお役所仕事で終わりたい人々がたくさんいるという点です。彼らは、事務手続きの委任は受けているけれども、結果、効果を問われる業務を請け負った覚えがないというスタンスなのです。 もっとやっかいなことは、平気でお役所仕事をしている民間企業の社員もたくさん見受けられるということです。彼らの存在のおかけで、法改正や制度的枠組みの変更の都度、おいしい思いをしているITベンダーやコンサルタントもたくさんいらっしゃるようです。経営者の方々、敵は社内にも社外にもいるので要注意ですぞ。頑張れ、文部科学省!! |




