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現代アート
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加護野ゼミOB研修旅行記の最終稿です。
NTNさんと林原生物化学研究所さんの見学および、そこから得られた知見をベースにしたゼミナールで過ごした一日半のあとは、ベネッセハウスと直島にて現代アートを堪能いたしました。
まずは、ベネッセハウスから。話には聞いていたのですが、郷里の岡山の地元(正確に言うと香川県ですが、岡山県の宇野港からフェリーで20分ですので)でもあり、現住所の神戸からも中途半端に近いことから、わざわざ行って見ようという気が起こらないまま今に至っていました。
安藤忠雄さんの建築物は、前職やコンサルティング先のオフィスにて何度か経験しており、決して使い勝手が良いものではない(建築として否定している訳ではなく、空調が効きにくいとか仕事をする上での導線が決して良くはないという意味です)という印象だったのですが、あにはからんや、極めて快適な二泊を過ごすことができました。
オフィスという視点ではなく、リゾートやミュージアムという立ち位置から経験すると、こうまで印象が異なるものかと新たな発見をいたしました。部屋にはTVなどという野暮なものはなく、BOSEのラジオがポツンと一台。とてもお洒落で快適な空間でした。
食事は、和洋、夜朝とも、瀬戸内の素材の新鮮さもさることながら、入っているレストラン、シェフのセンス、腕前とも超合格点。トロッコに乗ってゴトゴトと山頂まで上ったところにあるバーも素敵でした。
現代アートとの出会いは、95年のNYの近代美術館においてでしたが、そのときとは全く異なる感動が直島ではありました。NYでは、何かとても人為的なテクニックばかりが前面に感じられて、インダストリアルなインパクトは感じたのですが、マインドに響くようなそういう心の慟哭を強く感じることはありませんでした。ところが直島では、人間の息吹というか、生活観というか、そんななかで共存、自己主張しているアートが絶妙なコントラストで私の体に飛び込んできました。
地中美術館もベネッセミュージアムもよかったのですが、特に、街中の民家の中に点在する“家プロジェクト”がそのような印象を決定付けたのではないかと思います。
一泊ではちょっと強行軍になりますので、できれば二泊してじっくりと島全体を堪能してみてください。私も島内の鑑賞には半日しか使えなかったので、そう遠くないうちにリピートしたいと考えています。
余談ですが、当日は打ち合わせを兼ねてご滞在中の安藤氏ご本人や、撮影のために来られていた福武總一郎氏のオーラにも触れることができ、大きな収穫のあるゼミ旅行を終えることができました。
いつもながらの節を聞かせていただいた加護野先生、遠路より集まった同窓の諸氏、また新たな試みとして加わっていただいた05年組の皆様、有意義な三日間をありがとうございました。次の金沢の製薬工場視察を楽しみにしています。 |
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24年の歳月を経て
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田代秀敏氏の「中国に人民元はない」という新書を読みました。
どうも北京への聖火リレーは平穏では済まなさそうなご時勢の下、出張先の本屋さんで手に取ったものです。中国はとにもかくにも、ないない尽くしのお国柄のようです。
企業法務の基本をたたきこまれた大手総合商社出身のボスから、“常に公正であれ”と教えられました。公正の“公”は“ム”すなわち私事に“ハ”すなわち背くことであり、“正”とは(常に判断基準が)“一”に“止まる”ことであると。
当時の私は、ボスの崇高な教えを、ひたすら畏れ入って聞くだけでしたが、冒頭の著書の中で24年ぶりにその出典を知ることになりました。
韓非子が、中国では公と私は絶対に相容れないとして、次のように説明したそうです。“私”は“禾”と“ム”の組合せですが、“禾”は穀物を、“ム”は領域を表すそうです。つまりは、穀物の自分の取り分が“私”ということになります。
その一方で、“公”は上の“八”の部分が、本来は自分の取り分である“ム”を上からちょこっとつまんで奪い去る二本の指を示しているのだそうです。中国では本来的に“公”は“私”を奪う存在だというパラダイムがあるのです。
けちょんけちょんに叱られまくったあの頃から、24年(四半世紀にちょっと満たないところがミソですが…)の歳月を経て、とても深いものに触れたような気がして、大きな余韻が残りました。
明日から三日間、そのボスの出身母体の商社の新入社員の方々の研修のお手伝いをさせていただきます。冒頭での挨拶の趣旨は決めてあります。
「皆様の大先輩からの大いなる教えのおかげで今の自分があり、その恩返しが少しでもできればという想いから今日はこの場に立たせてもらっています。皆さんも何十年か後に、同様に次の世代に何かを伝道していける社会人になってもらいたく、私はこの三日間エネルギーを出し尽くします。」
肉体的にはハードな日々が続きますが、精神的エネルギー充填度は120%です。
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時間距離の相対性
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私事で恐縮ですが、二番目の愚息が無事高校に合格し、昨日、母親と一緒に入学に向けた諸手続を終えたようです。
私はというと東京日帰りの強行出張の一日でしたが、まずはランチタイムを過ごした浅草ビューホテルにて中学入学と見られる親子の大集団(きっとこれから午餐の大ペチャクチャ大会が開催されるんだろう…)と遭遇。
次に向かった浅草橋界隈では、きっと体操服と教科書が入っているんだろうと想像される大袋を抱えた高校入学と見られる親子の小集団との接近遭遇。そうなんだ、昨日は全国的にそういう一日だったのだと。
さて、私が中学生や高校生の頃、自分の両親や周りの大人たちは“すげぇ大人”と映っていました。ところが今、親としてその世代の彼らと接しながら感じることは、“俺たちってそんな大人でもなく、お前らにせいぜい毛が三本生えた程度に過ぎないぜ”という感触です。
小学校一年生のときに感じた、二年生って、なんて大きいお兄ちゃんなんだろう、六年生って、とんでもないもっと大きな人という感覚。その頃の夏休みは、終わってしまえば短かったものですが、それはそれは長い40日間でした。
ところが、この齢になると40日なんて一瞬の出来事で、日に日に時間の経つのが早くなると感じるのは私だけでしょうか?お年寄りの方々は毎日暇にしているのではと考えるのは全くの杞憂に過ぎないそうです。たとえば80歳のご老人の感覚では、我々の一年が一ヶ月程度のものだとか。
アインシュタインの相対性理論は、移動速度が速くなればなるほど時間の経過が遅くなり、光速で移動した暁には時間の経過がストップするというものですが、理屈として理解することも困難ですが実際に体験することはもっと難しいロジックです。
でも、私達人間が確実に感じることができる相対性理論は、齢をとればとるほど時間の経過が早くなるという現象だとすると、元祖相対性理論は光速で時間の経過がストップするのに対し、私達の人生の相対性理論では、無限に齢をとれば時間の経過速度も無限に最大化するということになりますが、それってどんな状況か想像できますか?
きっと、それは神様や宗教の世界に通じるのだと思ったところで、これってアパログ的話題としては?ということで本日はお開きです。 |
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企業は人なり
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“企業は人なり”とは、言い古された言葉ですが、この週末、そのことを痛感させられる経験をしました。
関西の中堅美容サロンのスタッフ20名弱を対象にCRMのレクチャーをやらせていただいた時のことです。ブランディングおよびCRMの確立を目指すプロジェクトの中での一環で、私がCRMの基本的考え方と事例をお話させていただきました。土曜日の営業終了後の時間帯(みなさん、いつもそうして集まっておられるそうです)から、22時を回る時間まで息つく暇もない熱いディスカッションが繰り広げられました。
店長、副店長はむろん現場でのスタイリストを兼ねていますが、営業部長やマネージャーの方々も現役で現場業務をこなしながらの重責でいらっしゃいます。そんな、彼ら彼女らの年齢が若いこともありますが、とにかく全員が元気がよくて向学心に溢れていることに圧倒されました。さらに、オーナーのポリシーがしっかりされていることと基本的教育が行き届いておられることから、皆さんとても礼儀正しく、教えている私の方が、逆にいろんなことを教えられました。
20代の若者達のパワーに負けないよう、私も大きな声で挨拶して、しっかりと講義させていただきました。皆さんも多大な刺激を受けられたようで、日本初の、もしくは日本一のプログラムやメニューを開発するんだと張り切っておられました。いやはや、頼もしい限りですね。
この年齢になってそのような若い人々の中に入っても、元気と挨拶には負けないでいられる自分のルーツは、前職の新入社員時代に各種研修やOJTに鍛え上げられたことにあると改めて感謝しています。その会社は、十年以上も定期新卒の採用をしていなかったのですが、今春は久々に新卒をある程度の人数採用すると風の便りに耳にしました。
しばらく社内で聞かれることのなかった若い社員によるとりあえず大声の挨拶が飛び交う光景が復活すればいいなと願っています。元気と礼儀と大きな声での挨拶。ごく当たり前のことですが、これがどれほどの好影響を周りの人々に与えることか。受講者の皆さんから伝わってくる人間力と組織力に、当該サロンの輝かしい未来の予感を感じさせられたのでした。
雪の降りしきる中、終電で帰路につく私の心はとてもさわやかでした。 |
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同期会
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同期っていいですね。
年初初日恒例の同期会に数年振りに参加してきました。もう20年近く続いている初出勤の日の恒例行事なのですが、その日に関西に居ることがなかったここ何年か、顔を出せずにいましたが、久しぶりに関西での仕事スタートだったので、日程を合わせることができました。
昭和59年入社であることから、ゴックン(59)会というのが我々同期の集まりの愛称ですが、今年は総勢29名の参加でした。 当時は会社が急成長している時期でしたので、同期入社が200人以上いたのですが、それでも大勢集まったものだと感激しました。
さすがにこの年齢になると、話題はもっぱら“息子のサッカーが”とか“娘のピアノが”というおっちゃん、おばちゃん会話に終始するのですが、(“息子のリリアン”にはちょっと驚きました)何年かぶりに会ってもスッと話題に入っていける同期って、とてもいいものだと再認識いたしました。残念ながら昨年亡くなってしまった常連の彼もここに来てるよ、なんて話にもなって、ちょっとホロリとも。
笑いあり、涙ありの素敵な一年のスタートを切ることができました。素晴らしい同期の仲間たちと、彼らとの出会いを提供してくれた会社に感謝!! |
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モーニングコールの不思議
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前職時代も含めて、拠点の神戸と東京とを毎週往復するビジネスパターンにはまって、かれこれ10数年になります。出張時の移動手段に関する話題もいずれアップしたいと思っていますが、本日はモーニングコールについて一言。
出張族の皆さんは、何らかの根拠をもって常宿を決めておられることと思います。毎回、ネットで最安値をゲットしておられる猛者もいらっしゃると思いますが…。私は、ここ数年、四谷三丁目のホテルを使い続けています。理由の詳細は今日の議論の本質ではないので割
愛いたします。
そのホテルのモーニングコールの設定は、部屋の電話で80からスタートして行います。ちなみに解除は81を頭にします。たまに都内でも違うホテルに泊まったり、地方に出張したりすると頭が51だったりします。そこは、解除の頭が50でした。
電話のダイヤルの配置は全て同じで、国際的にもデファクトスタンダード化しており、私たちはそのおかげで携帯を使うときも海外に行ったときも大きな戸惑いはありません。
なのに、それを使ったソフトが各社まちまちであることから、ホテルが変わる度にモーニングコールの設定でストレスを感じるのは私だけでしょうか?
キーの配列で言うと、タイプライターのそれがあります。毎日数時間お世話になっているPCのキーも英文字はタイプライターの配列を踏襲しています。タイプライターのキーの配列は、英語で出現頻度の高いアルファベットが打ちやすい指の配列に呼応しているのをご存知でしたか?ということは、日本語をローマ字で打っている私たち日本人にとっては人間工学的には決して合理的な配列ではないということです。日本人である我々は必要以上のストレスを指に与えながら日々ビジネスに励んでいる訳です。
ところで、電卓のキー配列はTELのそれとは真逆ですよね。経理のベテランの方が目にも止まらぬ速さで電卓をたたく姿は、皆さんも一度はご覧になられたご経験があるのではないかと思います。その方々は、電卓と電話をどのように使い分けておられるのでしょうね?私たちより、とってもストレスを感じているかもしれませんね。
ハード上のある種の必然性と合理性を、活かすも殺すもソフト次第です。モーニングコールのソフトの開発者の皆様方へモノ申します。少なくとも、0と1の法則性を、望むべくは頭の数字二桁をデファクト化していただけると、私たちユーザーはとってもストレスフリーになります。
アパレル業界においてソフトの開発に携わっている専門職諸氏も思い当たる節はありませんか? |
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セコロジーのすすめ
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日曜朝の番組、“がっつりマンデー”で「あなたのセコロジー」が募集されています。セコい裏技を求めているのですが、その一例がポイントとスイカの効果的利用でした。
大手家電量販店では二桁以上のポイントがつくのが当たり前ですが、そのポイントをスイカにチャージするのだそうです。チャージされたスイカで同じ量販店で買い物ができて、さらにその買い物でまたポイントがチャージされて、チャージされたポイントで買い物をしてまたポイントがチャージされて…。
亀を追い越せないアキレスの話を思い出しました。少し先に居るいる亀と同時に走り始めたアキレスが永遠に亀を追い越せないという有限の中の無限のパラドクスです。実際にはどこかの地点で亀を追い抜くことになるのですが、その瞬間までの有限の時間を無限に刻むことが可能なのでパラドクスが生まれるのです。
少し趣はことなりますが、秀吉に仕えた曽呂利新左衛門が要求した米粒の褒美の話も頭に浮かんできました。。81日後には全地球を約1mの高さで覆うほどの米の量になるというお話です。後になって気付いた秀吉は、腰を抜かしたことでしょう。
血液がサラサラになるブレスレットなど医学的にはには存在しませんが、ちょっとだけロジックが背景にあって、それに上手いレトリックが伴えば、大いなる根拠と説得力の源泉になります。
近々、「アパレルを科学する」というカテゴリーもスタートさせます。 |
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