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長野の熊野神社の神主さんに会う機会があった。お坊さんにしても神主さんにしても実に話が面白いが、この方は元学校の先生であっただけに格別だった。「ネギにはねぎらうという意味あるんです。」「お父さんが仕事から帰ってきたら、ネギの入った味噌汁を出して、お疲れさまとねぎらう。そして、味噌汁の中のネギを食べたお父さんは、今日も美味しい食事をありがとう、とお母さんをねぎらう」だから、ネギは何の料理にもあうのだという。久々に「ねぎらう」という言葉と出会った。ずいぶん昔に置き忘れてきたような気がする。 お坊さんの話で思い出したことがある。実は夫の母方の実家はお寺さんで、ナント、祖母がお坊さんであった。新婚時代に金沢のお寺を訪ねたときのこと、「毎日手を合わせて感謝をしなさい」といわれたが、そのあとの説明が穿っていた。「手のシワとシワを合わせてしあわせを願う。」なるほど、語呂合わせのようでもあるが、わかるような気がした。こうやって、昔から、人々に伝えられたものはスーと心に届くから不思議だ。 最近の新聞の特集にパートナーとの関係を円滑にする一言というのがあった。「お疲れ様」「ありがとう」をいうだけでも関係がよくなるというのだ。当たり前のことなのに、新聞記事になってしまう。夫婦間に「ねぎらい」の言葉がなくなりつつ現代を反映しているようであった。我が家ではいつも「ありがとう」が飛び交う。お茶を入れてもらっても、ありがとう。新聞を取ってもらっても、ありがとう。電気を消してもらっても、ありがとう。家族であっても、何かやってもらったら、ありがとうという。習慣になってしまうと、毎朝顔を洗うように普通になり、言ったあとは洗顔後のようにすっきりする。こんな美しい言葉があるのだから、その言葉に働いてもらわない手はない。 私たち夫婦は50歳になるまでゴルフはご法度だった。共働き夫婦の休日は子供へのサービスデイでもある。そんな大切な日を日長ゴルフに興じるなど、もってのほかというのが理由だった。で、51歳になった時、夫は待ってましたとばかりにゴルフをスタートした。何でも始めるとある程度上手になるまで集中してやらないと気がすまない夫は時間があるとクラブを握っていた。コースにも出るようになり、少し上手になったとき、「これからは二人でゴルフだ」と言い出した。その年のホワイトデイにレディス用のクラブセットを買ってもらい、練習場で2−3回練習しただけで、私はコースにデビューする羽目になった。実に電光石火。「私には向いていないんだけど」とか「どうしてやるの」とか言っている暇はない。 練習場でもゴルフ場でも「もっとボールを見て」「左腕をまっすぐ」などなど、注意の豪雨。止まっているボールなのに当たらない。緊張している上に注意が続くので、自然と機嫌が悪くなる。頭の中でぶつぶつぶつぶつ、文句の数珠ができる。「自分だってまだ上手じゃないのに」「わかっているから黙っていてよ」と。結果、自分の腕の悪さや集中力の欠如を夫のせいにしてしまう。こんな日が続いたあと、ふと、気づいた。こんなことをやっていてもうまくなれない。うまくならなきゃおもしろくない。だったら、少し前に始めたとはいえ、運動センス抜群の夫のアドヴァイスを素直に聞こうと。しかも夫をコーチにすれば、レッスン料は無料。こんなに安いコーチはいない。そのうえ、たまたま私が「ナイスショット」を出すと、まるで自分の事のように喜んでくれる。私は私で、ほめてもらうと、テストで100点を取った子供のような気分になる。二人で目と目を合わせて笑いあう。ずいぶん前の記憶、そう、新婚時代のように。この瞬間、ちょっと照れくさいけれど、妙に嬉しかったりする。50代に入って二人で何かを始めるって小さな発見がいっぱいあって、なんだかいいかもしれない。 白州次郎と正子の夫婦円満の5つの秘訣が雑誌に載っていた。そのひとつに「なるべく一緒にいないこと」とあった。個性の違う二人なのだから、一緒にいないほうがうまくいくに決まっている。でも、普通の夫婦は違うかなと、思ってしまう。お互いをわかるためになるべく一緒にいる。そうして、できればマイナスの面ではなく、お互いのいい面だけを見て、過ごしていく。そうやっていけば、ミドルエイジも「楽しく二人で」が実現できそうな気がする。ねぎらいながら、感謝しながら、「ひとりより、ふたり」。昔の丸井の広告コピーを思い出した。 |






