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完全復活です。 それにしても、考えれば考えるほど不思議。 だいたい本屋に行くときには買いたい本があるときで、 求める本の在庫がなかったりしたら、たいてい同じ著者 の別の本か、関連する本を買ってかえるのが普通なんで す。 行き当たりばったりで本を手にすることなんか、まずな いんですが、「おろしや」だけはどこでどうやって購入 したのかも思い出せない。 でも、これは本当に示唆に富む本だった。 僕は人間の本能的な欲求の中に、「人に認められたい」 という思いがあると感じてるんです。 それは、成果を認められたいとか人格を認められたいと か、そういうことの以前に、存在を認められたいという レベルの欲求のこと。 たとえば、朝起きて自分の友達や同僚、顔見知りと思っ てた人たちに、ことごとく「あなた、だれ?」って言わ れたら、それこそおそらくしまいには発狂してしまうん じゃないかな。 信じていた自分の存在そのものをことごとく否定されて しまうわけですからね。 「おろしや」の中の大黒屋光太夫ほか、伊勢の漁師さん たちは漂流先で、まずは仲間たちの中でアイデンティティ を保とうとするわけです。 必ず生きて故郷に帰ろうと、共通の認識を持って、互い が互いを確認しあう。 ところが、厳しい寒さを含む劇的な環境の変化で、1人 また1人と生命を絶たれていくと、生き抜くための手段 として、今度は現地の言葉を覚えようと必死になる。 ここから少しずつ変化が始まるんですね。あらかたの言 葉を覚え、ロシア人を前にしても堂々と振る舞う光太夫 の姿を誇らしげに見つめる部下の描写が出てきますが、 ここらあたりを契機に、きっと、ロシア人にも認められ るのではないかという思いが漁師さんたちの間に芽生え てくる。 やがてロシア本国に移され、漂流から7年以上が経ち、 現地の生活に慣れてくると、わずかながら快適ささえも 覚えるようになる。その土地に自分たちの存在を認めて くれる人がいるという事実は、彼らの気持ちを無意識下 で支えていたんじゃないかと想像します。ただ、望郷の 念は決して薄れることはないですね。 やがて、長い歳月をかけた懸命の努力が実って帰国する ことが許されると、生き残った仲間の1人がぽつりとも らすんです。「本当に帰ることが幸せなんだろうか」と。 これはきっと、自分の存在を肯定してくれる土地を離れ ることへの一種の不安なんでしょうね。 これとは逆に、光太夫は帰国に大きな希望を抱くんです。 外国語を操り、異国の地を見聞し、その詳細をまとめた 記録を持ち帰るわけだから、さぞかし日本の人々の耳目 をひくことになるだろうと、少しばかり興奮するのです。 ところが、いざ帰国すると、自分を先導する松前藩の役 人の足音は、「かつて聞いたものではなく」、役人同士 が話す言葉も「理解はできても、心に通じるものではな かった」という有様。 鎖国の時代ですから、ロシアから帰国した光太夫が重宝 されることはついぞなかったんですね。そればかりか、 晩年はむしろ幽閉生活を余儀なくされる。 祖国で認められることがかなわなかったのです。 これはつらいですよねぇ。 だから、やっぱ、存在だけでも認めてくれる人に感謝。 病床で孤独だったからか、熱の中でもんもんとそういう ことを考え続けていました。ハハ |




