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Now Everyone Can Fly これは、マレーシア初の格安航空会社であるエア・アジア(Air Asia) のキャッチコピーなんですが、今日そのチケット売り場に行って、 まさに誰でも飛行機に乗れる時代になったんだなぁと実感しました。 基本的にエア・アジアはオンラインのみで予約を受け付けており、そ れ以外ではセントラル駅にある同社のセールスオフィスと一部の旅行 代理店しか発券をあつかっていません。 つまり、この時代にオンラインで予約できない少数派のみが紙のチケ ットを求めて発券所に現れるわけです。 言うまでもなく、僕もその1人だったわけですが、セールスオフィス に行ってみてホントびっくり。なぜならそこは、一見、出稼ぎ労働者 とみれる人たちでごったがえしていたからです。 おそらく、これまでは人口密度が究極に高い船に乗って、長い時間か けてマレーシアにやってきた人たちも、今では飛行機の旅ができるよ うになったんだろうなって勝手な想像が膨らんでいきます。 バンコクまで約2時間のフライトが片道39.99リンギ(約1,200円)。 これが、いましがたエア・アジアのホームページをのぞいた際、トップ ページで宣伝していた価格です。オフピークや事前予約など、いろんな 要素を組み合わせなければ、驚くほどの価格にはならないのですが、そ れでも5年前に産声を挙げた同社が、マレーシア航空の寡占市場に風穴 をあけたのはまぎれもない事実です。 ただでさえ赤字が続いていたナショナルキャリアの市場に、格安航空会 社が名乗りを上げ、政府がライセンスを与えたこと。しかもそのCEO がこの国ではマイノリティであるインド系であったこともあり、当時か ら実業家トニー・フェルナンデスには多くの注目が集まりました。 航空券売り場が長距離バスのチケット売り場と化していたのを目の当たり にし、なんとなく興味を覚えたので、ちょこっと調べてみると、なかなか 面白いんでかいつまんで書いてみます。 本名アンソニー・フランシス・フェルナンデス、43歳。 インド系の母親とマラッカン・ポルトギーといわれるポルトガル系の父 親の間に生まれる。かつてポルトガルの占領下にあったマラッカには、 当時上陸したポルトガル人が現地の人たちと結婚し、子孫を残している。 すでに他界したフェルナンデスの父もその1人。クリスチャンだった。 イギリスで学んだ後、バージン・アトランティックに就職。バージン・レ コードに転じて経理を担当した。このため、フェルナンデスが航空業界へ の参入を発表した際には、リチャード・ブランソンが背後にいるのではな いかと噂された。 マレーシアに帰ってからの経歴が華々しい。 若干27歳でワーナーミュージックのマレーシア支社長に当時最年少で就任。 アマチュアギタリストとしての経験を活かし、伝統音楽をミュージックシー ンのメインストリームに引き上げることに成功すると、92年にはワーナー ミュージック・グループの東南アジア担当副社長に昇格した。 航空ビジネスへの夢をあきらめきれないフェルナンデスは、ワーナーがアメ リカオンラインに買収されたのを契機に、2001年に同社を退職。 この年まで、約2年間かけて行ったロビー活動が功を奏し、大物政治家の仲 介によって時のマハティール首相との面会にこぎ着けた。 その場でフェルナンデスの手をがっちり握った首相(当時)は、政府系コン グロマリットDRBハイコム傘下のチューン・エア売却を約束した。 約1,100万米ドルの負債と2世代前のボーイング機2機。 大空への挑戦権と引き換えに貯金を切り崩し、自宅を抵当に入れ、フェルナ ンデスは1リンギ(約30円)でエア・アジアの前身を買収する。 そして01年12月、念願の業界参入は同時多発テロの直後に発表された。 この頃、マレーシアの新聞には「アジアのハブを目指す」という閣僚の構想 が頻繁に登場した。通信ハブ、運輸ハブ、多国籍企業のアジア地域本部誘致、 イスラム金融ハブ、ハラル食品の流通ハブなど。 これまで経済を支えてきた外国資本の製造業が中国に拠点を移し始めたため、 危機感を募らせた政府はジャンルを問わずハブ構想に躍起になっていたとみら れる。 マレーシアの主要新聞社は、どれも与党の出資比率が過半数を超えているので、 政府の主張を伝える機能を十分に備えている。翌02年から、製造業の外国直接投 資は目に見えて落ち込んでいった。 多額の負債付きとはいえ、航空ビジネスライセンスを持った政府系企業の売却 だ。しかも、それまで政府は巨額の補助金を割り当てるなど、5年以上赤字を 計上していたマレーシア航空を一貫して保護し続けてきた。 後にフェルナンデスは、マハティール前首相に対し、「格安航空業界のアジア のリーダーになり、マレーシアを業界のハブにする。今なら間に合う」と熱っ ぽく語ったことを明かしている。 こうした舞台裏など知る由もなかったので、とにかく、エア・アジアの誕生は センセーショナルな出来事だった。 様々な噂も飛び交った。 エア・アジアの略称がAKであることから、フェルナンデスは実業家アナンダ・ クリシュナン(イニシャルはA・K)の傀儡と断定する人もあった。 通信大手マキシスや衛星放送のアストロを経営するアナンダ・クリシュナンは インド系。マハティール前首相とは大学時代の同期とあって、この噂には妙な 説得力があったことを覚えている。 さて、誰もが飛行機を敬遠する時期に大空へのチャレンジ。周囲の目が冷やや かだったことは想像にかたくない。 「航空機のリース料は40%下がり、リストラによって優秀な人材が職にあぶれ ていた。参入の時期としてはパーフェクトだった」 雑音に耳を貸さなかったフェルナンデスは、当時を振り返る。 「飛行機を利用したことのあるマレーシア人は、人口の約6%しかいなかった。 同時多発テロの影響で景気が悪化したら、人々は時間とお金の節約に動くはず」 確信は的中。今では、「アジアで格安航空を利用する人のうち、50%が初めて飛 行機に乗る人で占められている」という。 こうして長年赤字が続いたエア・アジアはわずか1年で経営状況が好転、短期間 のうちに負債も完済した。 上昇気流に乗った同社は04年11月に株式の店頭公開を実施する。公開株式数に対 し、130%を上回る買い注文が殺到するほどの人気だった。 現在、エア・アジアは国内外合わせて49路線を運航。次々と路線拡張計画を発表 しているほか、金融業(チューン・マニー)やホテル業(チューン・ホテル)に も参入している。 航空ビジネスは利権ビジネスだけに、特に発展途上国では政府の一声で状況が一 変するリスクがある。エア・アジアの大株主であるフェルナンデスは、そのリス クを嫌い、持ち株を高値で売却して早々と同社を去るのではないかという憶測も あったが、どうやら今のところ事業欲に水を差す存在は現れていないようだ。 いやぁ、述べ3日がかりで長々と書いてしまいました 書いているうちに終わりがどんどん遠のいていってしまって、往生しました・・・ それにしても、Wikipediaってすごいですね・・・ これ、ベースにしたのはすべてつたない記憶とWikipediaの情報だけです あっ、あのー。記憶や翻訳の間違いがあったらごめんなさい・・・ ふーっ。とにかくつかれました 了 |




