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書け、病のごとく書け

 1945(昭和20)年1月16日のことである。小説家・高見順は新橋演舞場で6代目菊五郎の「鏡獅子」を見た。戦争末期のこの頃、客層はすっかり変わってしまっている。果たして菊五郎の至芸を理解している客がどれほどいるのだろうか。そんな観客を相手に懸命に踊る菊五郎を、高見は気の毒に思うと同時に、形に残すことのできない舞台芸術のむなしさが心にしみた。
 だが、すぐに自分の愚かさを反省する。そもそも芸とは、そういうものではないか。そして、なまじ後に残る文字芸術に従っている者の、むなしさに厳しく直面できぬ不幸を感じ、その日の日記に「後世に結局残りもしないのに、残るかもしれぬとうぬぼれて何か書いている者の不幸。その醜さが後に残るのに、何か書き散らしている者の不幸」と記した。
 だが、“最後の文士”と呼ばれた高見は、その後にこう書き記す。
だが、
書け、
病のごとく書け。
菊五郎の踊りを見て、心に誓ったことは、
かくのごとく、業のごとくに書け。

 以上は、高見順の『敗戦日記』(中公文庫)に記されたエピソード。これを読んだとき、おこがましくも新聞記者も同じだと思った。読者に、繊維業界に、少しでも役に立つ情報をと思いながら、我々は日々原稿を書く。ときにはミスを犯し、後世に自分の愚かさ、醜さを残す。それは恐ろしいことである。
 だが、それでも記事を書かなければならない。なぜなら読者がいるからであり、文筆に従事するということは、そういうことだからである。
 だから思った。
だが、
書け、
病のごとく書け。
高見順の日記を見て、心に誓ったことは、
かくのごとく、業のごとくに「記事」を書け。
(M.U)
2007年10月22日(月)  06:15  / この記事のURL

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