イメージするということ
タバコが嫌いだ。曖昧な欲望からそれを吸おうと試みたことはある。しかしそれがあまりにひどい味(?)だったので断念した。両親も兄弟もノンスモーカーだ。
朝の通勤時、前をすたすた歩いているひとが気持ちよさげに喫煙しておられるが、そんなときはまず風下を避け息を止めそして歩幅を1.5倍ほど増幅して、あたかも「これが私の普段のスピードなんですよ」といった装いで颯爽と追い越す。煙に巻き込まれるのが嫌だからだ。こんなことをやっているとなんか意地悪な感じがして心が根元からポキっと折れ、くじけそうになるが、本当に煙が嫌なんだから仕方ない。
こんな状況ではとても健全な精神状態は保てないから、何とかタバコを好きになろうと試みる。ひとのタバコの箱を眺めながら「こいつはいいなあ。このインディアンのデザインなんか現代でも十分に通用するぜ」とつぶやいてみるが、台詞の棒読みのようになってしまい、まるで感情というものがこもっておらず、こんなのではだめだだめだと投げ出してしまうのだ。結局映画『COFFEE&CIGARETTE』も未だに観れていない。損をしているよなあと思う。
それに最近、タバコをますます嫌いになりそうで怖い。なぜかと言うと道端に落ちているゴミの中で最も多い(と思う)のがタバコの吸殻だからである。我社では朝の時間に会社内および会社周辺を掃除している。ほうきとちりとりを携えて朝の外苑西通りをお掃除していると実に多くのタバコの吸殻が捨てられているのだ。石畳の如き歩道の小さな溝に挟まって身動きが取れなくなっているものや、側溝の網状のフタのなかにうずくまっているもの、何台もの自動車に踏み潰され粉々になっているもの、植木の土に刺さっているものなど実に様々なスタイルで不法投棄されている。許せん。
なぜこんなにもポイ捨てが多いのであろうか。考えた。まずそれがゴミだというふうに認識されていないのではなかろうか、と。タバコを吸う。短くなる。指からぽろりと零れ落ちる。ソールで踏みつける。この一連のスタイルが確立されちゃってるんじゃなかろうか。例えば使用していた冷蔵庫が故障したとする。ひとはそれを軽い感覚で植木の土に突き刺すだろうか。否、刺さない(刺せない)だろう。だがタバコは小さい。だから前述のスタイルでのポイ捨て行為が非常に容易であるのだ。またこの行為には火を消すためという意味合いも込められている。だからポロリと落としてしまう。これがいけない。
そこでさらに考えた。この忌々しき事態を解決するために何が一番有効な手段なのか。小さいからだめだとすれば大きくしたらどうか。まるで海苔巻きをくわえているくらいのイメージ。絶対ダメだということに気付く。まず第一にそんな姿は間抜けだし、タバコはあのサイズがおそらく味的にも時間的にも丁度良いのだ。そんなことをしたら大味になるし、「一体いつまで吸っているつもりだね」などと課のチーフにどやされる危険性もある。火を消すためという点を考えたら、そうか火の要らないタバコを開発すれば、と読者のなかには思う方がいるかもしれないが良く考えて頂きたい。たぶん無理である。仮に実現したとしてもそれはタバコではなくなってしまうであろう。
じゃあどうすれば良いのかと考えると、いきつくところ、携帯灰皿をスモーカーの皆様に持っていただくのが一番じゃないんでしょうか。それとやはりタバコに限らずポイ捨てはいけないという意識をもつこと。それは町並みを壊す。破壊する。環境破壊といっても言い過ぎではないです。いつか社長の車の運転手を任され表参道の並木道を走っていたときの話。「この町並みはほんと世界的に見ても通用するようなあ」と社長がつぶやいた。ちょっと大げさかもしれないがそうかもしれない。その影で町並みを保つためにおそらくゴミ掃除を毎朝している多くの人たちがいる。だからと言うわけではないが、そんなごく当たり前のことをイメージできたら、そのタバコは指からすり抜けられるだろうか。
ということでほとんどが不満、そしてイメージちょっとの内容でした。また来週から東京のほんの一部ですがキレイにお掃除したいと思います。あしからず。(竹下)
朝の通勤時、前をすたすた歩いているひとが気持ちよさげに喫煙しておられるが、そんなときはまず風下を避け息を止めそして歩幅を1.5倍ほど増幅して、あたかも「これが私の普段のスピードなんですよ」といった装いで颯爽と追い越す。煙に巻き込まれるのが嫌だからだ。こんなことをやっているとなんか意地悪な感じがして心が根元からポキっと折れ、くじけそうになるが、本当に煙が嫌なんだから仕方ない。
こんな状況ではとても健全な精神状態は保てないから、何とかタバコを好きになろうと試みる。ひとのタバコの箱を眺めながら「こいつはいいなあ。このインディアンのデザインなんか現代でも十分に通用するぜ」とつぶやいてみるが、台詞の棒読みのようになってしまい、まるで感情というものがこもっておらず、こんなのではだめだだめだと投げ出してしまうのだ。結局映画『COFFEE&CIGARETTE』も未だに観れていない。損をしているよなあと思う。
それに最近、タバコをますます嫌いになりそうで怖い。なぜかと言うと道端に落ちているゴミの中で最も多い(と思う)のがタバコの吸殻だからである。我社では朝の時間に会社内および会社周辺を掃除している。ほうきとちりとりを携えて朝の外苑西通りをお掃除していると実に多くのタバコの吸殻が捨てられているのだ。石畳の如き歩道の小さな溝に挟まって身動きが取れなくなっているものや、側溝の網状のフタのなかにうずくまっているもの、何台もの自動車に踏み潰され粉々になっているもの、植木の土に刺さっているものなど実に様々なスタイルで不法投棄されている。許せん。
なぜこんなにもポイ捨てが多いのであろうか。考えた。まずそれがゴミだというふうに認識されていないのではなかろうか、と。タバコを吸う。短くなる。指からぽろりと零れ落ちる。ソールで踏みつける。この一連のスタイルが確立されちゃってるんじゃなかろうか。例えば使用していた冷蔵庫が故障したとする。ひとはそれを軽い感覚で植木の土に突き刺すだろうか。否、刺さない(刺せない)だろう。だがタバコは小さい。だから前述のスタイルでのポイ捨て行為が非常に容易であるのだ。またこの行為には火を消すためという意味合いも込められている。だからポロリと落としてしまう。これがいけない。
そこでさらに考えた。この忌々しき事態を解決するために何が一番有効な手段なのか。小さいからだめだとすれば大きくしたらどうか。まるで海苔巻きをくわえているくらいのイメージ。絶対ダメだということに気付く。まず第一にそんな姿は間抜けだし、タバコはあのサイズがおそらく味的にも時間的にも丁度良いのだ。そんなことをしたら大味になるし、「一体いつまで吸っているつもりだね」などと課のチーフにどやされる危険性もある。火を消すためという点を考えたら、そうか火の要らないタバコを開発すれば、と読者のなかには思う方がいるかもしれないが良く考えて頂きたい。たぶん無理である。仮に実現したとしてもそれはタバコではなくなってしまうであろう。
じゃあどうすれば良いのかと考えると、いきつくところ、携帯灰皿をスモーカーの皆様に持っていただくのが一番じゃないんでしょうか。それとやはりタバコに限らずポイ捨てはいけないという意識をもつこと。それは町並みを壊す。破壊する。環境破壊といっても言い過ぎではないです。いつか社長の車の運転手を任され表参道の並木道を走っていたときの話。「この町並みはほんと世界的に見ても通用するようなあ」と社長がつぶやいた。ちょっと大げさかもしれないがそうかもしれない。その影で町並みを保つためにおそらくゴミ掃除を毎朝している多くの人たちがいる。だからと言うわけではないが、そんなごく当たり前のことをイメージできたら、そのタバコは指からすり抜けられるだろうか。
ということでほとんどが不満、そしてイメージちょっとの内容でした。また来週から東京のほんの一部ですがキレイにお掃除したいと思います。あしからず。(竹下)





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