« 2007年04月16日 | Main | 2007年04月22日 »
親父の1周忌
昨年に親父を亡くしてから1年が経った。

1周忌(親父はクリスチャンだったため、1周年祭か)のために帰国していました。
教会での1周年祭は、仏教式に比べると極めて質素で簡単なものであるように思いました。

私自身はクリスチャンではなく、かといって仏教徒でもなく、無信仰の典型のような日本人です。
正月には神社へ初詣、京都の浄土宗の寺で手を合わせ、福井の永平寺で禅を組んだこともあり、学生時代はミッション系の大学だったため朝のチャペルに参加し聖歌を歌ったりしていました。
台湾では台北の行安宮などといったお宮へ参拝、成都では道教のお廟へ参拝、タイではアユタヤの寺院へ参拝、ソウルでは曹渓寺へ拝観に行き、ハルピンでは極楽寺へ初詣に行きました・・・・。
旅行守りには真言宗のお寺で買ったものを持っていますし、車の交通安全守りは生田神社のものを使っています。

信仰に対しては深く考えたこともなく、友人知人で○○経を信仰しているとか、××経に入信しているとかはありましたが、1歩下がって見ていました。
信仰や宗教への個人的な感想は、自分の生き方や道徳観に対しどう向かい合うべきかを宗教を通じて感じ取っていくもの、もしくは現世や来世への期待感や方向性を宗教によって救済してもらうようなものなんだろうと考えていました。
だから、宗教によっては奇跡や超常現象などが強調されるものには引いてしまいます。
来世があるかないかなどは、証明できるわけはないので、信じるか信じないかは個人の差だと思っています。
信じると言うことは自分と向き合うことで、他人に強制するようなものではないと考えています。

宗教が元で戦争や争い殺人、またイスラム経のようにジハードなどが起きる事自体が想像の域を超えています。
宗教を信じること自体は何の反対も反感もありませんが、宗教を守るために戦いや争いが起きるのは本末転倒ではないかと思ってしまいます。
自分が信じていれば、非難されようが否定されようが良いじゃないですか、信じるものこそ救われる、信じない者や他宗教の者なんか気にしないでいいじゃないんですか?

信仰の深い方がこの文章を見ると、それは違う間違った考え方だとか、これだから無知なんだとか思われるでしょうか。

今回親父の1周年祭は、教会で執り行われました。
神の下へと召された親父は、天国で今幸せに過ごしているのでしょうか。
現世を生きる私は、今だに色んな雑事の中で右往左往しているだけです。

仏教式の四十九日やら1周忌など、また宗派による細かな約束事などのない簡素なキリスト教での1周年祭は私にとっては新鮮でした。
私たち遺族が集まり故人を偲んで祈りを捧げるのに、形式はあまり関係ないような気もしていたので、今回の式典は物足りないと思う反面、素直に受け入れられたような気がします。


親父の墓を建立しなくてはと、昨年墓地を購入しました。
墓石を建てるにあたり、デザインなども石材屋さんと相談しました。
仏式の縦長の伝統的な墓ではなく、横長でモダンな洋風のデザインにしようと相談しています。お墓の様式は宗教などに拘らないシンプルな感じにしたいと思っています。
ただし、故人の想い出を残すために、墓石に花を彫りいれたり、記念のモニュメントを設置してもいいかなと計画しています。
表現は悪いかもしれませんが、このお墓建立を楽しんでやってみようと思っています。
親父が喜んでくれるようなものにしたいと願います。
 2007/04/20 23:22  この記事のURL  /  コメント(0)  / トラックバック(0)

プロフィール

中国系資本の百貨店に勤める百貨店マン。小売業とは如何に付加価値の高いモノを売るのかを考えること。 中国での奮闘ぶりを少しでもお伝えできれば幸いです。

2007年04月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
更新順ブログ一覧
リンク集
月別アーカイブ
QRコード
アパレル業界の情報満載の「アパレル携帯版」
右のQRコードで読み取ってアクセスしてください。こちらからも自分の携帯URLを送れます。 QRコード

http://apalog.com/chuka/index1_0.rdf