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今日の日経の夕刊社会面の見出しは「まじめな少年に何が」です。 「誠実」と言う言葉には「誠意」もあれば「信頼」という奥行きを感じさせる響きもあります。「真面目」という言葉は、何か都合が良く「普通」という意味合いがあったような気がします。昨今、「真面目」過ぎる人間をたまに見かけます。これは恐ろしい。 自分の体験ですが、「真面目」過ぎる人は、キャパシティが狭い、そして融通が利かないと言う印象の人が多かったです。なので、そんな人がストレスでも持った日にはキャパシティが狭いので大変な事になるのでは、と思うんです。小出しにストレスを上手に発散する手段を持っていないので、そう言う人がひとたびブチ切れた時は、とんでもない爆発を起こす気がするのです。 今日の記事もそうですが、最近の少年の事件では、「まさかあの子に限って」と言う様な事が現実的に起こってしまっています。誰だってコンプレックスやストレスを持っています。余りにも「生」真面目(きまじめ)に自分を追い詰めない方が良いんじゃないでしょうか。 突然すね毛を剃ってミニスカートはいて喜ぶぐらいなら誰にも迷惑がかからないのですが、(^^)カルト集団やおかしな宗教に入信したり、ホームの階段で女学生を盗撮するような行動に出るとしたら、もうオシマイです。狂気を持ったら地獄です。 そっち系の怖いお兄さんや、政治的な思想で行動している人などは、かえって対外的には「判りやすい」ので、こちらとしても対策が打てたりするのですが、真面目過ぎる人は一見するには「普通」なので、それが実は最も怖い事なのです。 たまに馬鹿をやってみたり、ちょっと路線から外れたりする位の人の方が土臭くて良いです。車のブレーキと同じで遊びが有った方が良いんです。ギチギチに詰めないでゆとりを少しだけ持たせた方が良いです。真面目すぎる奴が勘違いモードに入って、その人にしか通じない正義感を持ったりしたら?!と考えると、ものすごく「怖い!」と思うんです。いずれにしてもストレスの発散の仕方に工夫はいると思う訳です。 |




